鎧さんと悪魔の姉妹-5
鎧がいなくなってから、一週間が経った。
出会った当日に地下牢に置いてきたため、「出会ってから一週間」という言い方もできるのだが、私としてはさっさと記憶から抹消したいので、いなくなった事実を強調した。
いつも通り朝食を終えた私は、自室からほど近い場所にある図書室でボーっとしていた。広いスペースには等間隔で背の高い本棚が並び、そのどれもにびっしりと本が詰めこまれている。蔵書の種類は雑多で、魔術の専門書と思われる本もあれば、子供が読むための童話もある。私も気が向いたときにいくつか読んでみたが、あまり夢中になれるものはなかった。難解すぎてさっぱり理解できないか、眠気を我慢できなくなるほど退屈な内容かのどちらかだったからだ。
それでも、私はこの図書室にいることが多い。何となく、雰囲気が好きなのだ。本の匂いと静寂に包まれたこの空間が。
ここに来てから、メイドと一緒に城中の部屋を一通り見て回ったが、あまりうろつこうとは思えない。好奇心旺盛な妹なら毎日飽きることなく探検を繰り返していただろうが、その場合この城は原形を留めていないだろう。最悪湖に沈んでいる可能性すらある。
(そう。私は、穏やかな毎日が過ごせればそれでいいと思ってる)
昔は、村に帰りたいと思うこともあった。だが、背中の翼が消えて無くならない限り、私が望むようなごく普通の生活は送れないだろう。なら、せめてこの城の中で、心を静めて平穏に暮らしたい。
(……私は妹とは違う。羽は生えているけど、それ以外は普通の人間なんだから)
村にいたとき――背中の翼が服の中に隠せていた頃――と変わらない、人間らしい生活がしたい。それが、私の望みだった。
ズキリ、と頭が痛む。頭痛がひどくなる前に、私は思考を切り替えた。
(そうだ。あの鎧のことについて書いた本ってないのかな)
暇つぶしがてらに探してみることにする。一週間も経っていたのに「図書室で鎧について調べよう」と思い付かなかったのは、それだけ興味がなくなっていたということだろう。それに、今頃はただのガラクタに成り果てているはずだ。例え正体が分かったとしても無意味だろうが、暇つぶしだと思えば大した手間とは思わない。
私は伸びをしてから立ち上がり、ふらふらと本棚のあいだを歩く。鎧のことについて書いた本なら、やはり魔術系の本だろうか。それとも心霊系――
意識が本に向いてしまっていたため、私は間近に迫っていた闖入者に気付かなかった。
人の気配がする、と察した時、すでに行為は始まっていた。
「そーれいっ!」
ばさぁ! と布がはためく音がしたかと思うと、下半身がひんやりとした空気に包まれる。
「きゃあ!?」
慌ててスカートを押さえるが、もう遅い。スカートをめくった犯人の目には、私の穿いていた黒い下着がばっちりと見えただろう。
「何するのよこの――」
変態! と叫びつつ回し蹴りをお見舞いしてやろうとしていた動きが、止まる。
スカートめくりなどという変態的かつ低俗なイタズラをする人物――人と形容していいのかどうかは不明だが――など一人しか思い当たらず、懲りないスケベ鎧にはきつい制裁を与えるべきだ。罪を犯したなら相応の裁きを受ける。それが摂理だ。
そう勝手に決めつけていた私は、
「にひひっ! お姉ちゃんのぱんつ、真っ黒!」
スカートめくりの犯人が妹であったことに面食らい、思考も動きもフリーズしてしまった。
「ほほう。我輩のアドバイスを生かすとは……なかなか見所がありますな。姉殿」
件の変態鎧は、少し離れたところで屈みこみ、私のスカートの下を覗きこむベストポジションを確保していた。だが、そちらに意識を向けるほどの余裕はない。
緩慢な動作で足を下ろした私は、困惑した思考のまま尋ねる。
「あんた、何でここに……」
「メイドさんと鎧さんにお願いして出してもらったの」
「そんな勝手なこと――」
「勝手を許可するだけの理由ができたのよ」
図書室に凛とした声が響き渡る。見れば、開かれた扉にもたれかかるように立つ、メイドの姿があった。
「自由に歩き回っていいとは言ったけど、なるべくならあたしの目が届く範囲にいてほしいな。妹ちゃん。きちんと監視してないと、あなたのお姉ちゃんがうるさそうだからね」
「ごめんなさい、メイドさん」
「ま、そこの鎧君がそそのかした結果だろうから。何かあったら、そっちに責任取ってもらうよ。それでいいのよね?」
「む、無論ですぞ!」
鎧は声を震わせながらも、自分に任せておけと言わんばかりに胸を叩く。どうやら三者のあいだでは何かしらの取り決めがあるようだが、私は一人で蚊帳の外だ。
それに気付いたのか、鎧が偉そうに胸を逸らしながら、口を開く。
「我輩が教えてあげたのですよ。姉殿との『遊び方』をね」
「遊び方……?」
「いやあ、一時は本気で殺されるかと思いましたが、我輩の体は自分が思っていた以上に頑丈らしく、バラバラに引き裂かれても三十分ほどすれば元通りになるのですよ」
「あれにはあたしもびっくりした!」
粘着性の物体――スライムが弾けた後、時間をかけて元通りになろうとするイメージが浮かぶ。原理はあれと同じなのだろうか。
「しかし、このままでは我輩の身が持たない――いや、姉殿とずっと不仲なままだと思いましてな。世の中には、妹殿が知る以外にもたくさんの遊び方があるのだと、熱心に説き伏せたのです。何度も何度もバラバラにされながら、それでも諦めず説得を続ける我輩の姿は、涙なしには見られない感動巨編となっていることでしょう。お礼にパンツ三枚くらい頂きたい気分でありますぞ」
「……その成果がスカートめくりなわけ?」
「無論!」
問答無用で脇腹を蹴っ飛ばした。「おうっ!?」と情けない声を上げた鎧は、バランスを崩して倒れる。その衝撃で、またしても兜が外れて床を転がった。
「……まあ鎧くんががんばったのは事実だよ。あたしも全部を見ていたわけじゃないけど、昨日新調した椅子とテーブルが今日まで傷一つ付いていないところを見ると、妹ちゃんに変化があったことを認めざるを得ないね。一体どんな手品を使ったんだか」
メイドは落胆したようにため息を吐くが、表情にはそれほど気落ちした様子は見られなかった。
「簡単なことですぞ」
妹に手伝ってもらいながら、立ち上がって兜を装着し直した鎧が、妙に真面目な声で告げる。
「妹殿は、姉殿と仲良くしたいだけなのです」
その言葉に背中を押されるように、妹が私との距離を一歩縮める。
「……え?」
久しぶりに間近で見る、妹の顔。スカートをめくった時はあんなにはしゃいでいたのに、今は頬を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむき、瞳を潤ませている。
(やめて――)
それを見た途端、私の頭の中に怨嗟の声が響いた。
「あのね、お姉ちゃん。あたしね、お姉ちゃんと一緒に遊びたいの」
勇気を振り絞り、懸命に言葉を紡ぐ妹。
(やめてよ――)
響く怨嗟の声が、少しずつ大きくなる。
「けど、まだ物を壊すこと以外の遊び方、よく知らないから……だから……」
妹は、私と同じ色の瞳を真っ直ぐ向け、告げる。
「あたしに、遊び方、教えて?」
妹の後ろに立つ鎧が、よく言えましたとしきりに頷いている。
私は、無意識のうちに後ずさり――背後にあった本棚に体をぶつけた。
「ちがう……」
呼吸が荒くなる。眼球がからから渇き、私は何度も瞬きを繰り返す。その内に焦点が定まらなくなり、目の前に立つ妹の姿がぼやけた。
「私の知ってる妹は……化け物で……私たち普通の人間とは違う悪魔で……」
「お姉ちゃん?」
ブツブツと呟く私を不審に思って――本当は心配していたのだが――妹が様子を窺うように顔を近づけてくる。
霞む視界の中で、妹の背中に生えた黒い羽が、鮮明に浮かび上がった。
出会った当日に地下牢に置いてきたため、「出会ってから一週間」という言い方もできるのだが、私としてはさっさと記憶から抹消したいので、いなくなった事実を強調した。
いつも通り朝食を終えた私は、自室からほど近い場所にある図書室でボーっとしていた。広いスペースには等間隔で背の高い本棚が並び、そのどれもにびっしりと本が詰めこまれている。蔵書の種類は雑多で、魔術の専門書と思われる本もあれば、子供が読むための童話もある。私も気が向いたときにいくつか読んでみたが、あまり夢中になれるものはなかった。難解すぎてさっぱり理解できないか、眠気を我慢できなくなるほど退屈な内容かのどちらかだったからだ。
それでも、私はこの図書室にいることが多い。何となく、雰囲気が好きなのだ。本の匂いと静寂に包まれたこの空間が。
ここに来てから、メイドと一緒に城中の部屋を一通り見て回ったが、あまりうろつこうとは思えない。好奇心旺盛な妹なら毎日飽きることなく探検を繰り返していただろうが、その場合この城は原形を留めていないだろう。最悪湖に沈んでいる可能性すらある。
(そう。私は、穏やかな毎日が過ごせればそれでいいと思ってる)
昔は、村に帰りたいと思うこともあった。だが、背中の翼が消えて無くならない限り、私が望むようなごく普通の生活は送れないだろう。なら、せめてこの城の中で、心を静めて平穏に暮らしたい。
(……私は妹とは違う。羽は生えているけど、それ以外は普通の人間なんだから)
村にいたとき――背中の翼が服の中に隠せていた頃――と変わらない、人間らしい生活がしたい。それが、私の望みだった。
ズキリ、と頭が痛む。頭痛がひどくなる前に、私は思考を切り替えた。
(そうだ。あの鎧のことについて書いた本ってないのかな)
暇つぶしがてらに探してみることにする。一週間も経っていたのに「図書室で鎧について調べよう」と思い付かなかったのは、それだけ興味がなくなっていたということだろう。それに、今頃はただのガラクタに成り果てているはずだ。例え正体が分かったとしても無意味だろうが、暇つぶしだと思えば大した手間とは思わない。
私は伸びをしてから立ち上がり、ふらふらと本棚のあいだを歩く。鎧のことについて書いた本なら、やはり魔術系の本だろうか。それとも心霊系――
意識が本に向いてしまっていたため、私は間近に迫っていた闖入者に気付かなかった。
人の気配がする、と察した時、すでに行為は始まっていた。
「そーれいっ!」
ばさぁ! と布がはためく音がしたかと思うと、下半身がひんやりとした空気に包まれる。
「きゃあ!?」
慌ててスカートを押さえるが、もう遅い。スカートをめくった犯人の目には、私の穿いていた黒い下着がばっちりと見えただろう。
「何するのよこの――」
変態! と叫びつつ回し蹴りをお見舞いしてやろうとしていた動きが、止まる。
スカートめくりなどという変態的かつ低俗なイタズラをする人物――人と形容していいのかどうかは不明だが――など一人しか思い当たらず、懲りないスケベ鎧にはきつい制裁を与えるべきだ。罪を犯したなら相応の裁きを受ける。それが摂理だ。
そう勝手に決めつけていた私は、
「にひひっ! お姉ちゃんのぱんつ、真っ黒!」
スカートめくりの犯人が妹であったことに面食らい、思考も動きもフリーズしてしまった。
「ほほう。我輩のアドバイスを生かすとは……なかなか見所がありますな。姉殿」
件の変態鎧は、少し離れたところで屈みこみ、私のスカートの下を覗きこむベストポジションを確保していた。だが、そちらに意識を向けるほどの余裕はない。
緩慢な動作で足を下ろした私は、困惑した思考のまま尋ねる。
「あんた、何でここに……」
「メイドさんと鎧さんにお願いして出してもらったの」
「そんな勝手なこと――」
「勝手を許可するだけの理由ができたのよ」
図書室に凛とした声が響き渡る。見れば、開かれた扉にもたれかかるように立つ、メイドの姿があった。
「自由に歩き回っていいとは言ったけど、なるべくならあたしの目が届く範囲にいてほしいな。妹ちゃん。きちんと監視してないと、あなたのお姉ちゃんがうるさそうだからね」
「ごめんなさい、メイドさん」
「ま、そこの鎧君がそそのかした結果だろうから。何かあったら、そっちに責任取ってもらうよ。それでいいのよね?」
「む、無論ですぞ!」
鎧は声を震わせながらも、自分に任せておけと言わんばかりに胸を叩く。どうやら三者のあいだでは何かしらの取り決めがあるようだが、私は一人で蚊帳の外だ。
それに気付いたのか、鎧が偉そうに胸を逸らしながら、口を開く。
「我輩が教えてあげたのですよ。姉殿との『遊び方』をね」
「遊び方……?」
「いやあ、一時は本気で殺されるかと思いましたが、我輩の体は自分が思っていた以上に頑丈らしく、バラバラに引き裂かれても三十分ほどすれば元通りになるのですよ」
「あれにはあたしもびっくりした!」
粘着性の物体――スライムが弾けた後、時間をかけて元通りになろうとするイメージが浮かぶ。原理はあれと同じなのだろうか。
「しかし、このままでは我輩の身が持たない――いや、姉殿とずっと不仲なままだと思いましてな。世の中には、妹殿が知る以外にもたくさんの遊び方があるのだと、熱心に説き伏せたのです。何度も何度もバラバラにされながら、それでも諦めず説得を続ける我輩の姿は、涙なしには見られない感動巨編となっていることでしょう。お礼にパンツ三枚くらい頂きたい気分でありますぞ」
「……その成果がスカートめくりなわけ?」
「無論!」
問答無用で脇腹を蹴っ飛ばした。「おうっ!?」と情けない声を上げた鎧は、バランスを崩して倒れる。その衝撃で、またしても兜が外れて床を転がった。
「……まあ鎧くんががんばったのは事実だよ。あたしも全部を見ていたわけじゃないけど、昨日新調した椅子とテーブルが今日まで傷一つ付いていないところを見ると、妹ちゃんに変化があったことを認めざるを得ないね。一体どんな手品を使ったんだか」
メイドは落胆したようにため息を吐くが、表情にはそれほど気落ちした様子は見られなかった。
「簡単なことですぞ」
妹に手伝ってもらいながら、立ち上がって兜を装着し直した鎧が、妙に真面目な声で告げる。
「妹殿は、姉殿と仲良くしたいだけなのです」
その言葉に背中を押されるように、妹が私との距離を一歩縮める。
「……え?」
久しぶりに間近で見る、妹の顔。スカートをめくった時はあんなにはしゃいでいたのに、今は頬を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむき、瞳を潤ませている。
(やめて――)
それを見た途端、私の頭の中に怨嗟の声が響いた。
「あのね、お姉ちゃん。あたしね、お姉ちゃんと一緒に遊びたいの」
勇気を振り絞り、懸命に言葉を紡ぐ妹。
(やめてよ――)
響く怨嗟の声が、少しずつ大きくなる。
「けど、まだ物を壊すこと以外の遊び方、よく知らないから……だから……」
妹は、私と同じ色の瞳を真っ直ぐ向け、告げる。
「あたしに、遊び方、教えて?」
妹の後ろに立つ鎧が、よく言えましたとしきりに頷いている。
私は、無意識のうちに後ずさり――背後にあった本棚に体をぶつけた。
「ちがう……」
呼吸が荒くなる。眼球がからから渇き、私は何度も瞬きを繰り返す。その内に焦点が定まらなくなり、目の前に立つ妹の姿がぼやけた。
「私の知ってる妹は……化け物で……私たち普通の人間とは違う悪魔で……」
「お姉ちゃん?」
ブツブツと呟く私を不審に思って――本当は心配していたのだが――妹が様子を窺うように顔を近づけてくる。
霞む視界の中で、妹の背中に生えた黒い羽が、鮮明に浮かび上がった。
「やめてよ! 化け物のくせに、人間みたいなこと言わないで!!」
私は、胸の内に溜まっていたわだかまりを吐き出すように、叫んだ。
図書室に静寂が戻る。しかし、それは、私が好きな心地のいいものではなかった。
誰もが言葉を失い、その場に立ち尽くしている。
実際は五分も経っていなかっただろうが、私には永遠にも感じられる長い時間が流れたあと、妹が口を開こうとした。
その瞬間、私の全身に耐え難いほどの悪寒が走り――気付けば、私は妹を突き飛ばし、図書室を飛び出していた。
怖かったのだ。妹の反応を見るのが。
私の言葉に傷つき、悲しそうに顔伏せる妹の姿を見るのが怖かったのだ。
だって、それは彼女が心を持った人間であることの証――
扉付近に立っていたメイドは、私を止めなかった。
図書室に静寂が戻る。しかし、それは、私が好きな心地のいいものではなかった。
誰もが言葉を失い、その場に立ち尽くしている。
実際は五分も経っていなかっただろうが、私には永遠にも感じられる長い時間が流れたあと、妹が口を開こうとした。
その瞬間、私の全身に耐え難いほどの悪寒が走り――気付けば、私は妹を突き飛ばし、図書室を飛び出していた。
怖かったのだ。妹の反応を見るのが。
私の言葉に傷つき、悲しそうに顔伏せる妹の姿を見るのが怖かったのだ。
だって、それは彼女が心を持った人間であることの証――
扉付近に立っていたメイドは、私を止めなかった。