にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

デュエルモンスターズ CrossCode ep-8th プロローグ-12

「ただいまーっと……ん?」
 家に入った途端、異変に気付く。玄関からリビングまで続くフローリングの床が、水浸しになっているのだ。
「た、多栄さん!? あわわすぐに片付けないと――ってわぁ!」
 リビングのほうからクロガネの声がしたかと思うと、ドンガラガッシャーンと何かを引っ繰り返したような派手な音が響き渡る。
「ど、どうしたのクロガネ!?」
 急いで靴を脱いで家に上がった多栄は、靴下が濡れるのもお構いなしにリビングへと突入する。
「あ、これは……その……」
 そこには、廊下同様水浸しになったリビングで、バツが悪そうに顔を背ける、頭のてっぺんから足先までびしょ濡れになって尻もちをついているクロガネの姿があった。
「……どういうことか説明してもらえる? 怒らないから」
「……本当ですか?」
「事と次第によっては怒るけど」
「嘘じゃないですか!」
「けど、だんまりを決め込むつもりならもっと怒る。どうする?」
 にっこりとほほ笑む多栄を見て肩を震わせたクロガネは、渋々といった感じで話し始める。
「実は、日頃お世話になってるご恩を少しでも返したくて……多栄さんが留守の間、家の掃除をしようと思ったんです」
 なるほど、確かにクロガネの傍には、空になったバケツと真新しい雑巾が転がっている。かろうじて浸水を免れている奥の方には掃除機が準備してあり、テーブルの上にはフローリング用のワックスや、ガラスを磨くためのクリーナーなどが並んでいた。随分な気合の入りようだが、この惨状を見ると完全に空回りしていると言わざるを得ない。
「いつも通り、帰ってくるのは夕方くらいだと思っていたので……」
「それまでには綺麗になってたってこと?」
「…………」
 答える代わりに視線を逸らすクロガネ。今日が半日授業でなければ、もっと悲惨な状況になっていた可能性がある。
「はぁ……気持ちはありがたいけど、これからは余計なことしないように」
「……はい。すみませんでした」
「それと、恩を返すなら明日の大会でしっかり優勝しなさい。あたしは、デュエルの師匠なんだから」
「――はい!」
 多栄がはっぱをかけると、クロガネの顔が明るくなる。こうした切り替えの早さは、彼の長所だ。
「それじゃ、さっさと片付けちゃおう。とにかくまずは水浸しの床を何とかしないといけないから、渇いたタオルを――」
 どうやったら効率よく片付けられるかを考えるのに夢中で、気が逸れていたからだろうか。
 踏み出した一歩がつるりと滑り、体が前方へと傾く。
「多栄さん!」
「え――きゃっ!?」
 慌てて踏ん張ろうとするが、力を入れたせいでもう片方の足も滑り、両脚が宙へと投げだされる。
 素早く立ち上がったクロガネが多栄を受け止めようと両腕を広げるが、こちらもまた水に足を取られ、再び尻もちをついてしまう。
 多栄は懸命に両手を伸ばし、少しでも着地の衝撃を和らげようとするが――
 倒れる先には、弟子が。
「きゃあっ!」
「うわあっ!」
 悲鳴を上げたのはほぼ同時。確実に階下まで響いただろう衝撃音と共にすっ転んだ多栄は、「いたたた……」と反射的に声を上げる。それに反してあまり痛みは感じていなかったが、床についた両手と両脚が濡れてしまった。
「ごめん、クロガネ。だいじょう――」
 弟子の安否を気遣う言葉が、不自然なところで途切れる。
 気付けば、クロガネの顔が吐息を感じられるほどに間近にあった。男とは思えないほど白い肌、長いまつ毛、潤んだ瞳、そして、やや血色の悪い唇――
「ぼ、僕は大丈夫です。多栄さんこそお怪我はありませんか?」
 自分を気遣うクロガネに、ハッと正気に戻る。
 気付けば、多栄がクロガネに覆いかぶさり、傍から見れば押し倒したような体勢にになっていた。それを意識した途端、急激に心臓の鼓動が速くなる。
「多栄さん? 顔が赤いですよ。やっぱりどこか怪我したんじゃ――」
「ううん! ちがう! そうじゃない! そうじゃないの!」
 早口でまくしたてながら慌てて体を起こした多栄は、両手をパタパタと動かし顔の熱を少しでも冷まそうとする。人力団扇は全く効果がなく、頬の熱は上がるばかりだ。
(ちょっと意識しすぎじゃないあたしのバカ! クロガネはまだ全然子供で、一緒にお風呂入っても全然平気……全然平気だったのに!)
 自分に言い聞かせるように、何度も心中で繰り返す。
 そうだ、クロガネは未だに身元が不確かの怪しい少年で、決して心を許してはいけないのだ。何か間違いが起これば、自分がひどい目に合うだけではなく、生木院家の名に傷を付けることになる。
(クロガネはあたしの弟子。それ以上でも以下でもないんだから――)
 その時、来客を告げるインターフォンが鳴った。この場をうやむやにするにふさわしい絶妙なタイミングに、多栄は来訪者に感謝せざるを得ない。
「あれ? お客様みたいですね」
「うん。ちょっと出てくる!」
 多栄は急いで立ち上がると、濡れた手のまま端末を操作して来訪者の映像を確認する。
「あ……」
 歓喜の表情が一瞬にして曇る。ベリーショートの黒髪に、切れ長の瞳。夢ノ司学園のかわいらしい制服に身を包んだ女性は、多栄のよく知る人物だった。
 多栄は逡巡の後、インターフォンの通話ボタンを押す。
「真琴……」
「やあ、多栄。家まで押し掛けてしまってすまない。けど、どうしても話がしたいんだ。いいかな?」
 多栄はクロガネに視線を移す。小柄な少年は、こちらの様子を窺いつつ渇いた雑巾で濡れた床を拭いていた。
 正直なところ、クロガネとの同棲のことをあまり追及されたくはない。しかし、やましいことはなく、ただデュエルを教えているだけだと説明しておきたいし、何よりわざわざ足を運んでくれた親友をこのまま追い返すことはしたくない。
「……わかった。エントランスまで迎えに行くから、ちょっと待ってて」
「ありがとう。多栄」


「……なるほど。事情は大体把握したよ」
 結局真琴にも手伝ってもらい、元通りになったリビング。テーブルを挟んで向かい側の椅子に座った真琴は、自らを納得させるようにうんうんと頷く。
 ジャージに着替えてから隣に座ったクロガネを交えて弟子入りの経緯を説明――竜王のことを含めて――した多栄は、
「最近帰るのが早かったのは、クロガネにデュエルを教えてたからなの。内緒にしててごめんなさい」
 秘密にしていたことを謝罪し、頭を下げた。
「まあ話してくれなかったのは寂しいし、心配もしたけど……デュエルモンスターズのことが関わっているとなれば私を避けてしまうのは仕方のないことだよ。竜王のことも、生木院の家に情報が漏れないよう、秘密を知る人間は増やすべきじゃない。多栄の判断は間違っていないよ。私こそ、こうして強引に問い詰めてしまってすまないと思っている。けど、これ以上待つことはどうしても我慢できなかったんだ。このまま多栄が私から離れていってしまう気がしてね」
「そんなことない! だって、真琴はあたしの大切な友達だもの」
「……その言葉が聞けて安心した。来た甲斐があったよ」
 多栄の言葉を聞いた真琴は、ホッと胸をなで下ろす。どうやら相当心配をかけていたらしい。
「僕からも謝らせてください、真琴さん。僕が多栄さんに無理にお願いしたばっかりに、余計な心配をさせてしまったみたいで……」
「……確かにクロガネ君のやり方はあまり褒められたものではない。が、デュエルが強くなりたいなら多栄に師事を仰いだのは正解だ。私は竜王のときの多栄は知らないし、デュエル初心者の観点からの評価だが……彼女は強い。圧倒的にね」
「真琴……」
「それに、クロガネ君が来てからの多栄はとても楽しそうだった。その点に関しては、むしろお礼を言わなければいけないくらいかな」
 そう言って、真琴はクロガネに向けて微笑んで見せる。クロガネのことを完全に信用したわけではないが、悪い人間ではないことは分かってくれたようだ。
「礼の代わりと言ってはなんだが、ひとつ提案があるんだ」
「何でしょう?」
「これから明日の大会に向けての調整をするんだろう? それに私も協力させてくれないかな。私にクロガネ君の相手が務まるかどうかは分からないが、色んなデッキと対戦経験を積んだ方がいいと思ってね」
「え……?」
「本当ですか!?」
 真琴の申し出に、2人の反応は分かれた。クロガネは尻尾でも振りそうなくらい嬉々としていたが、多栄の胸中は複雑だった。真琴の言うことは正しいのだが、自分なりに考えていた最後の調整プランを推し進めたい気持ちもある。だが、弟子の反応を見るに無下に断るわけにもいかない。
「……わかったわ。それじゃ、早速クロガネとデュエルしてみてもらえる?」
「ありがとう。何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「そのつもりだから大丈夫」
「……すっかり師匠役が板についているね」
 からかうような口調だったが、真琴の笑顔はどこか寂しげで――しかし、多栄の意識はすでにデュエルのほうに向いてしまっており、それに気付かなかった。
「よろしくお願いします! 真琴さん!」
「こちらこそよろしく頼むよ。クロガネ君」
 こうして、クロガネと真琴――2人の「教え子」によるデュエルが始まった。