にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

遊戯王 New stage2 サイドS 3-6

 オールバックの黒髪。紫音の位置からだと表情は読めない。着ているのは黒のスーツ――いや、喪服だ。ついさっきまで人の死を見届けてきたような重さを感じさせる、礼装。
 ドクドクドクドクドクと心臓が早鐘を打つ。
 男――伊織清貴は、紫音を見ていない。その濃厚な敵意は、赤髪の女性、大原竜美に向けられている。にも関わらず、紫音は体の震えを止められない。
 自分が弱者であると決定づけられたような、絶対的なプレッシャー。
 紫音の目の前にいるのは、人の形を模した魔王だった。
 陳腐な比喩表現だと思ったが、そう現すのが一番適切だと思ったのだ。
 伊織の左腕には、当然のようにデュエルディスクが装着されていた。何の変哲もないごく普通のディスクのはずなのに、悪魔が作り出した呪われた装具のように見えてしまう。
「――ハ」
 紫音にはとても長い時間に思えたが、実際には数秒も経っていなかっただろう。
 伊織から指名を受けた赤髪の女性が、渇いた笑い声を漏らす。
「わざわざリーダー自らお出向きとは、私も随分高く評価されたものね」
「……貴様が『紅姫』と呼ばれるほどの実力者だったことは知っている。『光の子』リソナ・ウカワ、『氷の魔女』ティト・ハウンツ、そして、『黒薔薇の魔女』十六夜アキ――それらと並び称されるくらいのな。加えて、どんな手を使ったのかは知らんが、貴様は今セキュリティの捜査官だ。万一仕留め損ねるようなことがあれば、情報漏洩は避けられない」
「……さすが、用心深いことで!」
 言葉では互角に張り合っているように見えるが、竜美の頬を冷や汗が伝う。伊織の発する威圧感に気圧されないよう、必死に耐えているのだろう。
「それに――リーダーというものは、率先して行動を起こすべき人物だと思っている」
 淡々と告げた伊織が、左腕のディスクを展開させる。
 それだけで、場を覆うプレッシャーが増した。
 こらえきれなくなった紫音は、両腕で自らの体を抱く。ガチガチと歯が震える。おそらく、生まれてから今までで一番情けない顔を晒していることだろう。
「――っ!」
 数瞬遅れて、竜美がディスクを展開させる。
 それを見ると同時、紫音の背中に隠れていたフェイが、震えた手で肩を叩いた。
 紫音は後ろを振り返ることなく、フェイの意図を理解する。
 ――逃げるなら、今しかない。
 デュエルディスクを構えた2人のデュエリスト。互いが互いの存在に気を取られているうちに、この場から離れるべきだ。
 竜美は紫音の父親たちの要請を受け、紫音を連れ戻そうとしている。伊織が現れたことで、「デュエルで勝てたら見逃してあげる」なんて悠長なことを言っていられる状況ではなくなった。さっさと逃げなければ、力づくで連行されてしまうかもしれない。
 当然、伊織清貴という「化け物」に刃向う気など微塵も起きなかった。
 紫音は音を立てないように注意を払いながら、じりじりと後ずさりを始める。後は、隙を見て一気に走りだすだけだ。
 しかし。
「あ……」
 視界に映った伊織の背中が、紫音をこの場に留まらせた。
 今朝の夢がフラッシュバックする。
 倒れた棚の下で、エリアを助けようと懸命にもがく自分。
 伸ばした手は届かず、親友はおぞましい影に呑まれる。
 そして、紫音はそれを直視できなった。
 恐怖に負け、目を逸らした。
 次に<水霊使いエリア>のカードを見たとき、そこに彼女の姿はなかった。
(これじゃ、あのときと同じ。何にも変わってないじゃない)
 無力な自分が嫌だった。
 だから、紫音は力を欲し、手に入れた。
 エリアに繋がる手掛かりが、向こうから転がりこんできたというのに。
 恐怖に負けて、のこのこと引き下がるのか?
(――そんなわけないじゃない!)
 強く奥歯を噛み、鉛のように重くなった足を持ち上げる。
 そして、ドスン! と音が鳴るくらいに大地を踏みつけた。
「――伊織清貴っ!!」
 カラカラに渇いた喉の奥から、精一杯の声を出す。
 場を切り裂いた紫音の叫び声に、「清浄の地」のリーダーはゆっくりと振り向く。
 フェイは黙ったままだ。1人でも逃げられたはずなのに、それをしなかった理由は分からない。
 竜美は、紫音が割り込んできたことに驚きを隠せないようだった。それもそうだろう。彼女の中では、上凪紫音は「家出した金持ちのお嬢様」なのだから。
 伊織の視線が、紫音の姿を捉える。
 視線で心臓を貫かれたような錯覚に陥り、奮い立たせた心がすぐに折れそうになる。
「エリア……エリアをどこにやったのよ!」
 それでも、紫音は逃げなかった。逃げずに叫んだ。
 伊織の眉がピクリと動く。
 セシルと同じように「知らない」と言ってくるか、それとも問答無用で襲いかかってくるか――いずれにしよ、紫音が飛び込んだのは魔王の居城だ。この男から目当ての情報を聞きだすことは、困難を極めるだろう。
 だが、そのために紫音は家を飛び出し、力をつけたのだ。その力を振るうことなく逃げ出すなど、絶対にできない。
 少しだけ、間があった。

「エリア……<水霊使いエリア>の精霊のことか?」

 返ってきた答えに、紫音の全身が震える。
 知っている。
 この男は、エリアの行方を知っている――!
「そうか。お前があのときの――」
 言いかけた伊織は、前触れもなく視線を前方に戻すと、右手を前に突きだす。
 5本の指が、何かを制するように開く。
「――ッ」
 そこには、ディスクにカードをセットしようとしていた竜美の姿があった。
 紫音に気を取られている隙をつき、モンスターを実体化させて攻撃を仕掛けるつもりだったのだろう。
「……待っていろ。まずはこっちだ」
「――ッ!?」
 むせかえるような濃い殺気が竜美に向けられ、赤髪の女性は咄嗟に飛び退く。
 それを見ても、伊織は右手を突き出した格好のまま動かない。
「サイコデュエリストは、この世界を傷つける罪人だ。この世に在ってはならない力――」
 重苦しい空気を纏いながら、伊織は言葉を吐く。
「――裁く。俺の『聖域』で」
 瞬間。
「術式解放。<ロスト・サンクチュアリ>」
 辺り一面が白に染まるほどの、眩い閃光が放たれる。
 閃光に視界を奪われながらも、紫音は懸命に伊織の姿を追いかける。
 ようやく掴んだ、エリアへの手掛かり。
 それをみすみす逃すわけにはいかない。
 手を伸ばす。
 伸ばした手の先に――
 バキリ、と。
 空間にヒビが入る不可思議な光景を、紫音は見た。