にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

遊戯王 New stage2 サイドS 4-1

 もしかしたら、昨日の夜だけで一生分の涙を流したかもしれない。
 洗面台の鏡の前で、紫音は自分の顔を見つめた。充血が残る両目の下には、ひどいクマができてしまっている。元々天然パーマ気味の髪はいつも以上にうねっており、唇はカサカサだった。
 紫音は蛇口をひねって水を出すと、乱暴に顔を洗う。
 冷えた水の感触が肌に刺さるが、気分はちっともすっきりしなかった。
 昨日――旧サテライト地区で「清浄の地」リーダーである伊織清貴の襲撃を受け、助けに来た亜砂のおかげで何とか生き延びた紫音たちは、亜砂の部屋があるマンションへと戻ってきていた。紫音、フェイ、朧、亜砂、それぞれが事情を説明し終えたあとは、全員が黙り込んだ。
 伊織の発した威圧感による恐怖も抜けきっていなかったが、紫音が口を閉ざしていたのは他の理由が大きかった。
 伊織によって宣告された、<水霊使いエリア>の死。
 その事実を真っ向から否定しようとする自分と、親友の死を受け入れてしまっている自分がごちゃ混ぜになり、上手く心の整理ができなかったのだ。
 元々、針の穴のように細い可能性だということは分かっていた。
 上凪邸が襲撃されたあの日から、もう何年も経っている。「清浄の地」と「伊織清貴」というキーワードだけで、ここまで辿りつけたのが奇跡に近いのだ。もちろん、世間知らずのお嬢様だった紫音には、情報屋であるセラの助力が必要不可欠だったが。
 それでも、正面から真実を突き付けられるのは、辛い。
(……いや。まだ真実だと決まったわけじゃないわ)
 ネガティブになる思考を振り払うために、紫音は自分の頬を叩く。バチン! と軽快な音が響き、ようやく思考がクリアになる。
 まだ諦めたくなかった。
 伊織の言葉だけでは、到底納得はできない。何しろ、セキュリティの捜査から逃れ続けてきた「清浄の地」リーダーの言うことだ。全て作り話だという可能性もある。彼はやはりサイコデュエリストの殺害を目論んでいるようだったし、エリアのことを知っている振りをして紫音の気を引き、殺そうとしたのかもしれない。
 だから、もう一度伊織に会って、自分の納得のいくまで問い詰める。
 それが、紫音の出した結論だった。
 全部嘘だったと白状するなら良し。エリアの死を頑なに主張するなら――
(その時は、受け入れるしかないのかな……)
 少し前の自分なら、親友の死を受け入れることなど考えもしなかっただろう。明確な証拠を見せられても、こんなのはデタラメだと叫んでいたに違いない。
 でも、今は違う。
 洗面所から出た紫音は、亜砂が買ってくれた寝間着姿のまま、リビングにあるソファに座る。前にあるテーブルには、トーストが2枚と目玉焼き、それにカフェオレが2人分用意されていた。可愛らしい猫のイラストがプリントされたマグカップを手に取り、紫音はカフェオレをすする。程よい甘さと温かさが口の中に広がった。
「ふわ~、休みの日はどうしても気がゆるんじゃうねぇ」
 欠伸をしながら気の抜けた声を出した亜砂が、寝室から出てくる。朝飯を用意してから着替えていたらしい。長袖のTシャツにスウェットと、いかにも部屋着といった格好だった。
 大きく伸びをしたあと、紫音の隣に腰を下ろした。
 朧とフェイの姿はない。昨日マンションに戻ってきたあと「2人だけで話したいことがある。明日の昼ごろまでには戻る」と言い残し、どこかに行ってしまった。
 亜砂はシンプルなデザインのマグカップを手に取ると、紫音と同じようにカフェオレを口に含む。そして、ほわ~と緩みきった表情を浮かべていた。
 そんな亜砂の隣で、紫音は心が安らぐのを感じた。「いただきます」と挨拶をした後、トーストにかじりつく。
「……大分落ち着いたみたいだね。紫音ちゃん」
「うん」
 紫音が頷くと、亜砂は「そっか」と笑顔を見せる。
 目玉焼きを箸で切りわけながら、紫音はちらちらと亜砂の様子を窺う。紫音の視線に気付いていない亜砂は、呑気にカフェオレを飲みながらテレビの電源を入れていた。
(……お礼、言わなきゃ)
 エリアの死を知っても――真実かどうかは分からないが――ここまで平静でいられるのは、亜砂のおかげだった。
 昨夜、亜砂と2人きりになった紫音は、今まで隠していたことを全て打ち明けた。
 自分が上凪財閥の娘であること。
 カードの精霊が見えること。
 <水霊使いエリア>の精霊が、唯一の友達だったこと。
 その友達が、上凪邸に押し入った犯人によって消されてしまったこと。
 エリアの情報を求めて「清浄の地」に接触したこと――
 戸惑いながらも、迷いながらも、紫音は全部吐き出した。
 それを、亜砂は受け止めてくれた。
 優しい笑顔と共に「よくがんばったね」と抱きしめてくれた。
 その温もりに包まれた瞬間、紫音の瞳から涙が溢れた。
 人と触れ合うことが、こんなに安心するなんて知らなかった。
 紫音は、声を枯らして泣いた。最早、体裁を取り繕う気は起きなかった。
 時に頭を撫でながら、時に背中をさすりながら、亜砂は泣きじゃくる紫音をずっと抱きしめてくれていたのだ。
 まだ会って2週間しか経っていない、赤の他人を。
 亜砂の優しさに、紫音は救われた。
「……どうしたの紫音ちゃん? 私の顔に何かついてる?」
「べ、別に! 何でもない!」
 いつの間にか、トーストをかじるのも忘れて亜砂の顔を見つめていたらしい。
 恥ずかしくなった紫音は、慌てて顔を逸らす。頬が熱い。たぶん、リンゴのように真っ赤になっているのだろう。
「む~、昨日はあんなに素直だったのに。まだ何か話し足りないことがあるなら、お姉さんに話してごらんなさ~い」
 紫音の態度に納得いかなかったのか、意地悪そうな笑みを浮かべて目を細めた亜砂が、しなだれかかってくる。
「だから何でもないってば! それより、早く仕事行かないと遅刻しちゃうんじゃないの?」
「今日は仕事休みって言ったよ~。ほらほら、正直に白状しないと脇腹こちょこちょしちゃうぞ~」
「え、や、ちょ、やめてって! あはは! くすぐったい!」
 「うりうり~」と脇腹をくすぐられ、紫音は身をよじらせながら悶える。
 その反応を見て気を良くしたのか、亜砂のくすぐりが激しさを増す。その手が脇腹から徐々に上がっていき――
 そこで、着信を知らせるメロディが鳴り響いた。
「あはは、はは、はぁ……電話、あたしの携帯だ」
「ちっ。ここからえっちぃ展開に持って行くつもりだったのに……」
「何か言った?」
「ううん! ただ、紫音ちゃんかわいいな~って」
 未だもたれかかってくる亜砂を振りほどき、紫音は席を立つ。亜砂の戯言は聞き流したつもりだったが、何故かドキドキした。
 紫音は寝室へ移動すると、扉をぴったりと閉める。これで、よほどの大声を出さない限りは、会話の内容を聞かれることはないはずだ。
(亜砂には悪いけど、あいつとの電話はあんまり聞かれたくない)
 後ろめたさを覚えつつ、ベッドの上に転がっていた旧式のスマートフォンを手に取る。
 画面に表示されている名前は、セラ・ロイム。
 亜砂や朧にはメールアドレスしか教えていないので、紫音の携帯に電話をかけてくる人間はセラしかいない。
 少し間を置いてから、電話に出た。