にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

遊戯王 New stage2 サイドS 3-16

「伊織……清貴」
「……あいつが『清浄の地』のリーダーだっていうのか? どうしてこんなところに……」
 紫音の呟きに、朧が呻く。できれば伊織が帰ってくる前にフェイを連れてこの場を離れてほしかったが、今さら頼んでも遅いだろう。
 足がすくむ。恐怖で視界が揺れ、胃の中の物を全て吐き出しそうになる。
 それでも、逃げるわけにはいかなかった。
 伊織は、慎重に大地を踏みしめる。空間に走った亀裂は徐々にふさがっていく。
「清貴……」
 「清浄の地」のリーダーである男の名を呼んだのは、双子の妹、虎子だった。兄である隆司は、「口を閉じていろ」という命令を律儀に守っている。
「隆司、虎子。仕事だ。大原竜美を探し出して連れて来い。まだこの近辺にいるはずだ」
「えっ……? それって……」
「仕留め損なった。ヤツは俺の『聖域』から自力で脱出し、逃亡を図った。深手は負わせてある。そう遠くには行けないはずだ」
「そんなこと……あるはずない。清貴が失敗するなんて……」
 ぶんぶんと激しく首を横に振った虎子とは対照的に、
「――分かったよ、リーダー様。見つけ出して連れてくればいいんでしょ?」
 一歩前に進み出た隆司は、素直に頷いた。
 伊織が首肯すると、隆司は虎子の手を引いて去っていく。朧が2人を引きとめるために右手を伸ばそうとするが、伊織が睨んだだけで動きが止まる。
 静寂が場を支配する。
 そのせいか、心臓の音がうるさいくらいに響く。今すぐにでも破裂してしまいそうだ。
「――――」
 隣に立つ朧が、拳を強く握るのが見えた。
 おそらく、朧も「清浄の地」のリーダーには訊きたいことがあるはずだ。隆司と虎子のこと、それに桐谷真理のこと。
 だが、ここは譲るわけにはいかない。
「……遅かったじゃない。待ちくたびれたわ。約束、覚えてるんでしょうね?」
 だから、隣に立つ青年よりも先に声を発した。
 精一杯の虚勢を張り、伊織と対等な位置にいることを演じて見せる。
「ああ。<水霊使いエリア>のことだったな」
 紫音に向けて話しながらも、朧や――離れた位置で休んでいるはずのフェイにまで警戒を怠っていないのが分かる。妙な動きを見せれば、即座に命を狩り取れるような「死の気配」を鋭敏に放っている。
「時間が惜しい。簡潔に話すぞ」
 その言葉に、紫音は息を飲む。
 ようやく――
 ようやくここまで辿りついた。
 親友を失ったあの日から、自分の力の無さを呪い、サイコデュエリストとしての才能を開花させ、その力を制御できるようになった。
 家を飛び出し、セラの助力を受け、唯一の手がかりである「清浄の地」を探し求めた。
 その「清浄の地」のメンバーに巡り合えたものの、彼はエリアのことを知らなかった。
 だが。
 この男は、エリアを知っている。
 口ぶりからするに、ただ単にカードの効果を知っているわけではないはずだ。
 確証はないが、おそらく上凪邸に押し入った侵入者の1人なのだろう。
 流行る気持ちを抑えながら、紫音は続く言葉を待つ。
 そして、伊織が口を開いた。

「<水霊使いエリア>の精霊は死んだ。<精霊喰い>に食われてな」

「え――――」
 刹那、頭が真っ白になる。
 何も考えられず、視界がぼやける。
 ――今、伊織は何て言った?
 耳の奥で反響する言葉を、受け入れることができない。
 茫然自失。
 紫音はまさにその状態だった。
 ――死んだ?
 ――エリアが死んだ?

 もう、この世にいない?

 そんなの嘘に決まっている。
 セキュリティの追跡を避け続けている「清浄の地」のリーダーが、そんな簡単に真実を告げるはずがない。
 そうだ、これは紫音を惑わすためのデタラメだ。
 <水霊使いエリア>のカードのイラスト部分は黒く染まっているが、それはきっとエリアがどこかに囚われているからだ。紫音はそう信じてきた。
 囚われのエリアを助けだせば、また昔のように一緒に遊べる。
 傍にいてくれる。
 ずっと、ずっと一緒にいてくれるはずだ。
 だから、伊織の言葉は嘘なんだ。
 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダ――

「お前の問いには答えた。今度はこちらから質問させてもらおう」

 伊織の声が、重くのしかかる。
「いや、質問ではなくて確認だな。お前たちは――」
 ビキリ、と。
 伊織が言い終える前に、彼の背後に再び空間の亀裂が出現する。
「サイコデュエリストか?」
 最早、答えを待つつもりもないようだった。
 伊織から放たれていた「敵意」が「殺気」へと変わり、冷酷な光を宿す瞳が紫音の姿を捉える。
 このままでは確実に殺される。
「紫音ッ!」
 朧の叫び声が聞こえる。
 でも、紫音の足は動かない。
 たった一言、伊織に向かって「嘘だ!」と叫んで、彼の言葉を否定してやりたい。
 今なら「清浄の地」のリーダーに対する恐怖など感じていない。でたらめを言う伊織の横っ面を思いっきり引っ叩いてやりたい。
 でも、できない。
 何故か?
 ――心のどこかで、認めてしまっているからだ。
 エリアの死を。
 彼女には、もう二度と会えないということを。
「クソが――!」
 動く気配を見せない紫音を見かねてか、朧が紫音をかばうように前に立つ。
 展開したままだったディスクにカードをセットし、モンスターを実体化させようとする。
 が。
「遅い」
 それよりも早く、伊織が右腕を胸の辺りから真横へ振り払った。
「がッ……!?」
 途端、見えないハンマーで殴られたような衝撃が朧を襲う。足が地面から離れ、吹き飛ばされる。露店の軒先に積み上げられた木箱に叩きつけられ、肺の中から空気が押し出される。
「俺には一般人とサイコデュエリストを識別する術がある。貴様らを連行する。大罪を裁く、俺の『聖域』に」
 伊織の背後に出現した空間の亀裂が、大口を開く。
 本能で理解する。あの中に呑みこまれれば、命は無い。
 こんなところで死ぬわけにはいかない。
 戦わなければならない。
 しかし、紫音の両腕は力無く垂れ下がったままだった。
 背を向けることすら出来ずに、崩れそうになる膝を動かして後ずさりする。
 伊織がこちらに近づいてくる。
 朧が立ち上がろうともがいている。
 後ろで、フェイが動き出した気配があった。
 紫音の瞳から、一筋の涙が流れたとき――

「紫音ちゃんっ!!」

 目の前に、見覚えのある背中が現れた。
 ふわり、と茶色の髪が揺れ、ほのかに甘いミルクのような香りが届く。
 言い様のない安らぎを感じる暖かさ。
「……あなたが何をする気か分かりませんけど、紫音ちゃんに手を出すのはダメです。私が許しません」
「亜……砂……?」
 紫音の前に立つのは、一般人である二条亜砂だった。
「紫音ちゃんは私が守る! そう決めたんだから!」
 両腕を精一杯広げ、紫音に手を触れさせないようはっきりと宣言する亜砂。
「馬鹿野郎……! 逃げろ二条!」
 何の力も持たない一般人がサイコデュエリストに刃向うなど、自殺行為でしかない。朧は声を振り絞って叫ぶが、亜砂は伊織を見据えたまま動こうとしない。
 伊織が足を止める。眼光だけで人を殺せそうな鋭い視線で、乱入者を睨みつける。
 そんな視線に晒されながらも、亜砂の体はわずかな震えさえも見せなかった。
 一瞬の沈黙。
「……フッ」
 その光景を見たとき、紫音は我が目を疑った。
 伊織清貴が、微笑を浮かべたのだ。
 場を覆っていた強大なプレッシャーが消失する。
 伊織はくるりと身体を反転させ、紫音たちに背を向ける。
「……一般人を巻き込むわけにはいかないからな」
 かろうじて聞こえるような小さな声で呟き、この場を去るために歩き始める。
 紫音も、朧も、フェイも、亜砂も、それを引きとめようとも追いかけようともしなかった。
 やがて、伊織の姿が完全に見えなくなる。
「紫音ちゃん……よかった、間に合って」
 振り向いた亜砂が、安心した様子で顔を綻ばせながら言う。
 それを見た瞬間。
 紫音の中で、今までこらえてきた色んなものが決壊した。
「…………っ!」
 無我夢中で亜砂の胸の中に飛び込む。
 強く、強く、亜砂の体を抱きしめる。
 胸に顔を押し付けると、どうしようもなく安心した。
「紫音ちゃん……」
 亜砂は飛び込んできた紫音を優しく抱きとめると、静かに頭を撫でた。
「ううう……ううううううううううううっ!!」
 初めて感じる安息の中で。
 少女は、声を殺して泣いた。