にわかオタクの雑記帳

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アニメFGO 絶対魔獣戦線バビロニア 感想 「藤丸立香」は主人公たり得たのか

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「絶対魔獣戦線バビロニア」のアニメ化が発表になったときは、期待と不安が混じった複雑な心境だったのを覚えている。

 

今よりもずっとユーザー数が少なかったであろう頃。
終章が実装され、第一部が劇的に幕を閉じた年末。あの熱狂は、時が経った今でもFGO史上最高の盛り上がりだったと思っている。
その火蓋を切ったのが、第7章であるバビロニアだ。
6章も肩を並べるくらい面白かったが、終わりに向けて加速し始めたのは、間違いなく7章だろう。
最後の特異点――そこでの冒険はただ過酷なだけではなく、笑いがあり、絆があり、心が震える展開がいくつもあった。
さすがに今では(にわかなので)記憶もおぼろげだが、当時は暇さえあればスマホにかじりついてシナリオを進めていた。
第二部が大筋の半分を超えたであろう今でも、トップクラスの面白さだ。

 

そのバビロニアの映像化。

 

あの場面が、あのバトルが、果たしてどう映像化されるのか。
「あの時の感動をもう一度」……それが期待の大部分を占めていた。

 

不安を感じた要因は、アニメでFGOに初めて触れる視聴者への配慮だ。
確かにバビロニアはシリーズ屈指のエピソードだが、終盤も終盤。
スター・ウォーズで例えるなら、いきなりep.3から放映するようなものだ。
一応プロローグにあたる序章がアニメ化されているものの、1~5章はすっぽ抜けているし、同時に劇場アニメ化が発表された6章は、公開がTVアニメ7章の放映後になるという。
7章ではこれまでの積み重ねがあってこそ感動するシーンがあり、それがアニメ勢には伝わりにくいんじゃないか。
原作勢にとっては当たり前になっている知識がない新規層へのフォローの仕方が、最大の懸念だった。
いっそ原作ファン向けに振り切ってくれてもいいな、なんて考えていた。

 

発表からそれなりに時間が経って、いよいよ放映となり。
そして昨日、最終回を迎えた。
なので、自分の気持ちを整理する意味でも、感想を書いていきたいと思う。


以下、アニメだけではなく、原作ゲームや他作品のネタバレを含むので、
気になる方は先に進まないことをオススメします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まず凄かったのは、全編を通じてほぼ崩れなかった高クオリティの作画。
戦闘シーンでは期待通りに、「今の視聴者」にウケるようなグリグリに動く刺激的な映像ばかりだった。
節目である防壁でのゴルゴーン戦や、ゴルゴーンとの決着、ケツァルコアトルの特攻、そしてクライマックスのティアマト戦と、盛り上げる部分での気合いの入り方が、凄まじかった。
あとは尻。原作勢としては慣れきってしまいスルーしがちだったが、マシュの鎧ってめっちゃえっちだよねって再認識した。

 

あとは、7章の主役である賢王ギルガメッシュの描き方
尺の都合上どうしても削られてしまうシーンが多い中で、ギルだけはゲームでの印象そのままに描かれていたし、むしろエルキドゥとの過去回想を中心とした映像による肉付けと、声を担当された関智一さんの熱演によって、さらに格好良く魅せてくれていたと思う。
決戦前のウルクでの演説や、最終回での藤丸への語りかけは、本当に良かった。

 


その他、いくつか「面白い」「見られてよかった」と感じた部分はあったのだが……
それを覆い隠してしまう靄が、原作ゲームをプレイした身だからこその不満だ。
ここからはネガティブ気味の感想が続くので、アニメを純粋に楽しめた方は読まないことを推奨します。

 

 

 

 

 

 

 

 

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不満の大きな柱は、主人公である「藤丸立香」が抱える問題。
「主観」と「俯瞰」による見え方の違いだ。


まず、FGOの主人公は=プレイヤーであるため、特別な力を持たない一般人。魔術の知識も乏しく、特筆すべき才能もない。
ただ、凡人だからこそ他者に寄り添うことができ、無謀とも言える歩き方ができる。
彼・彼女が決して諦めず、困難に立ち向かう姿に、多くの英霊たちが力を貸したいと共に歩んでくれる。
ゲームでは主人公=自分……とそこまで感情移入しなくても、主人公の目を通じ、プレイヤーである自分は様々な冒険を追体験する。
あのセリフに、あのシーンに、あのバトルに――どんな感情を抱くのかは、人それぞれだろう。
そうあるために、主人公には他のキャラのような濃い個性付けはされていない(選択肢でふざけることは多いが)
これはFGOに限った話ではなく、多くのソシャゲの主人公がそうなっているのではないだろうか。

 

なので、無個性無能力に近い主人公を、そのままアニメの主人公に据えると。
ネット上でも揶揄され、原作中(第二部)でも言及があった「女に守られて後ろでイキっている一般人」の図が出来てしまう。

 

原典である「Fate/SN」でもマスターとサーヴァントの図式は基本的に同じだが、主人公の士郎を始めに、本来サポートに回るはずのマスターが前線に立って戦える連中ばかりなので、そこが気になることはなかった。

 

他作品に目を向けると、関係性が似ている「ポケモン」では、従えるのがモンスター、ペットに近い存在で、トレーナーの指示に従って戦うシーンが多く描かれているため、サトシが「モンスターに守られている」ようには見えない。
その点FGOは、契約を結ぶのが名だたる英雄ばかりで、一般人の指示など不要なのではないかと思えてしまう。

 

同じソシャゲビッグタイトルのアニメ化だった「グラブル」では、仲間たちと肩を並べて戦うことができるので、充分主人公らしく活躍していたと思う。性格付けも言ってしまえばありがちだが、王道で真っ直ぐな好青年に仕上がっていた。
FGOでもキャラ付けの方向性は同じなのだが、いかんせん後方にいる場面が多いとセリフの説得力が欠けるのだ。

 


ゲームを「主観」でプレイしていた時には気にならなかった粗が、アニメによる「俯瞰」の描写で浮き彫りになる。

 


シナリオを進めていたとき、早く続きが読みたくて「バトルなんていらねえ! ストーリーだけ追わせてくれ!」と、幾度となく叫んだものだが、今回の件でバトル要素がいかに臨場感・没入感を出すのに重要だったのかに気付いた。
ゲームのバトルで戦うサーヴァントは、自分でクエストを周回し、手塩にかけて育てたキャラクターだ。
そして、そのサーヴァントをどう戦わせるか、指示するのはプレイヤー。
悪名高いガチャシステムだが、それぞれの始めた時期、課金の有無、プレイスタイルによって、手持ちの戦力は千差万別。
バトルをどう攻略するかは、それこそ人の数だけ「物語」がある。
7章は(ノーコンテニューで攻略するなら)苦戦するバトルが多く、特に終盤はシナリオ上の状況も相まって、絶望感を大いに演出できていたのだと知ることができた。

 

 

 

 

 

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ギルの次に優遇されてるように感じたマーリン

 

だが、アニメで同じ手法は使えない。
だから、どうしても後ろで「マシュ!」と叫んでいるシーンが目立ってしまう。魔力供給や令呪によるサポートは逐一描かれるものの、どうにも「鯖太郎」と貶されるほどの悪印象を拭えない。
無論、全ての戦闘がそうだったわけではない。特に上手かったのがケツァルコアトルの特攻の回で、一見すると無謀とも思える中央突破を指示する藤丸は、分かりやすく主人公として活躍していた。
そして、主人公の活躍が、バトルで目立つこととイコールでないことも承知している。
英霊たちと言葉を重ね、彼らの心を解きほぐし、信頼を得ることが「FGOの主人公」としての活躍であることも。


ただ、それがアニメできちんと表現されていたかと問われると、首をかしげざるを得ない。

それどころか、「藤丸立香」を主人公として立たせるためのシーンが、悪目立ちしているように見えて仕方が無いのだ。
崩れた防壁のレンガを積み上げる、野営の最中に筋トレをする……
「藤丸は主人公してるでしょ?」「ただ守られているだけじゃないでしょ?」そんな制作陣のフォローが透けて見えて、逆に痛々しく映ってしまうのだ。彼に求めているのは、そんな活躍ではないのに。


その不満が爆発したのが、ビーストⅡティアマトとの決着。
主人公から受けた恩を返すために、彼のために現れたグランドアサシン、山の翁。
そしてファンなら誰もが期待していたであろう、「英雄王」としての、慢心ゼロのギルガメッシュ
クライマックスに相応しい最高のキャラクターたちが揃った場面で、最強最悪の敵に引導を渡したのは。
ただの一般人である、藤丸の一撃だった。

 


分かる。意図は分かるのだ。
原作では一切その心情が描かれなかったティアマトに救いを与えるために、最後は藤丸と言葉を交わすべきだと。
その手段として、ギルからナイフを受け取った藤丸が特攻したのだと。

 

 

 

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だが、ここまでの「悪目立ち」を苦々しく思っていた自分の目には、「主人公らしく活躍させるためにトドメを刺させた」としか映らなかったのだ。


もちろん、ゲームには存在しない、アニメオリジナルの展開だった。
ここに至るまで、多くの良シーンが、尺の都合で削られてきた。
一番楽しみにしていたと言っていい山の翁の登場も、出てきた場面はよかったものの、その後は活躍らしい活躍もせず。
シリアスモードのジャガーマンに至っては全面カット。
ギルのエヌマエリシュも、テンポが悪いせいで興奮しきれない。

 

これが。これがウルクの人々との交流を削ってまでやりたかったことなのか。
「藤丸だって戦えるんだ守られてるだけじゃないんだ頑張ってるんだ」の集大成を見せるために、涙ぐむほど心が震えたバビロニアのラストバトルを改変したのか。
冗談じゃない。アニメを見てて明確に「怒り」を意識したのは、いつ以来だろう。


……1週間経って大分頭も冷え、最終回のエピローグが素晴らしかったこともあり、今は「なんだかんだよかったかな」と思えるくらいに落ち着いたが、20話を見終わったときの感情の爆発が、不満の靄を一層濃くしてしまった。
そのため、スタッフ続投による終章のアニメ化が告知されたものの、さっぱり盛り上がれないのが現状である。
終章こそ、「積み重ねの集大成」だろうに……

 

 

 

 

 

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あれで山の翁ガチャ引きたくなる人いるか? 僕は回しましたけど

 

果たして、バビロニアアニメを見て、FGOを始めようと思った人がどれくらいいたのか。
満足した原作ファンがどれくらいいたのか。
心から楽しめなかったにわかファンとしては、疑問を感じずにはいられない。