にわかオタクの雑記帳

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スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム 感想 【にわかのMCU鑑賞記延長戦】

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その場の空気を読んだり、雰囲気に流されたりした結果を、後悔するのはよくあることだ。


ピーターがヒーローの道を選択したことは、そんな軽い決断ではなかったけれど。
未来に待っていた責任が、自分が想像していたよりも遙かに重いものだったとしたら。
道を外れて身軽になることは、「自分勝手」なのだろうか。

 

ひとつの終幕を描いたアベンジャーズ/エンドゲーム」
スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」は、エンドゲーム後の世界で、ピーター・パーカーの新たな戦いが描かれます。
「その後の世界」がどうなったのか。エンドゲーム鑑賞を終え、余韻に浸りつつもそれが非常に気になっていたので、一緒にレンタルしてきた自分の判断を褒めてあげたいです。

 

何かが終われば、また何かが始まる。
ここからは、本編のネタバレを含みつつ感想メモを書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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戻ってきたピーターにのしかかったのは、「アイアンマンの後継」という重すぎるポジション。
何度も何度も未知の脅威に晒され、サノスの「指パッチン」の爪痕も癒えきらない中、世間は「新たなアベンジャーズ」を求めている。
アイアンマンも、キャプテン・アメリカも、マイティ・ソーもいない。
だから、救いを求めるときに、名前を呼ぶヒーローが必要なんだと。
当然、その役目は地球に残ったヒーロー、そしてアイアンマンから直々に後継者として指名されたとあれば、誰もがスパイダーマンにそれを求めるのは当然だ。

 

けれど、スパイダーマンの中の人であるピーターは、特別な力を持つとはいえ、まだ16歳の少年。他の子と同じように遊びたいし、恋だってしたい。
キャプテン・アメリカのように、世界のために自分の全てを捧げる覚悟なんて、到底できない。
もちろん、自分を信じて託してくれたトニーの期待に応えたい気持ちはあっただろう。
でも、親愛なる隣人に、「世界」は重すぎる
だから、ピーターは新たなヒーローであるミステリオことベックに、トニーから託された「イーディス」を渡し、自身の学生生活を謳歌しようとする。
結果的に、ミステリオはただの詐欺師であり、ピーターは自分の過ちに気付いて、友達を助けるために再起するのだけれど……

 

覚悟を決めなきゃいけないタイミングは、いつでも自分で選べるわけじゃなく、唐突に転がり込んできたり、気持ちが固まるまで待ってくれない、待つのを許されなかったりすることも多い。
トニーはともかく、ピーターはサノスとの決戦でアイアンマンが命を落とすとは予想もしていなかっただろう。
彼に導かれ、ヒーローを志したのはいいけれど。
いきなり途方もない期待と責任を背負わされ、折れそうになってしまった少年を、誰が責められようか。
年相応の「わがまま」を、「お前はアイアンマンの後継者なんだから自覚を持て」と一蹴することは、俺にはできない。
もし、ミステリオがベックの演技ではなく、本当に頼れるヒーローとして存在していたなら。
スパイダーマンもまた、別の誰かに受け継がれていたのかもしれない。
「ピーター・パーカー」と「スパイダーマン」を両立し続けることは、並大抵の苦労ではないのだから。
「ファー・フロム・ホーム」では、ピーターは「スパイダーマンとして」一歩成長した。
彼の行く道にはまだまだ数々の困難が待ち受けていそうだけど、街を縦横無尽に飛び回る身軽さを忘れないでいてほしいと思った。

 

 

 

 

 

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……と、「ホーム・カミング」に続き、少年の成長ストーリーとして、質の高い作品でした。
トニーが死んでしまったことで、アイアンマンはより神格化され、その後釜に座ることには尋常じゃないプレッシャーがあると思います。
例え世間が早くそこに収まることを期待したとしても、ピーターには自分なりの足並みで、新生アベンジャーズに近づいていってほしいと思いました。


今作のヴィランである、大量ドローンとホログラムで「脅威に立ち向かうヒーロー」を演出していたベックと仲間たち。
英雄にすがる民衆を巧妙に騙しつつ、自分たちの技術を披露して空いた地位にふんぞり返る。
方法や思想が非常に現代的で、いつか現代社会でも現れないとも限らないリアリティが感じられました。
人は自分に都合の良い情報を信じる。それを演出してあげれば、簡単にヒーローになれる。
エンドゲームで人工の半分が消失という未曾有の危機に晒された今の人々なら、エイジ・オブ・ウルトロンの時のように、ヒーローに対する風当たりが強くなることもないでしょうし。
サノスという「本物」が襲来したあとだからこそ、「幻」の脅威が際立つ。
ピーターの成長も含め、新しいページを開くに当たって、全てを一新してしまうのではなく、これまでの歴史と、終わりは確実にあったのだと認識させる。
「エンドゲーム」のあとに送り出すにふさわしい、素晴らしい映画でした。

 

 


これで、にわかのMCU鑑賞記も本当の終わりです。
MARVEL漬けの生活で、時間だけでなく体力も相当吸われましたが、見て良かった。一生分くらい映画見た気分です。とても充実していた。
まだ、ファンと名乗るにはおこがましいレベルですが、次作を楽しみに待ちたいと思います。