にわかのMCU鑑賞記 エンドゲームまで辿り着けるか? Part.4
長かった旅路も、ついにゴールが見えてきました。
MCUシリーズを(ほぼ)見たことがなかった俺が、エンドゲームを目指そう記事Part.4です。
「マイティ・ソー/バトルロイヤル」~「キャプテン・マーベル」までの5作品の感想メモになります。
前記事と同じく、ネタバレ注意です。
マイティ・ソー/バトルロイヤル
絶対原題の「マイティ・ソー/ラグナロク」のほうがかっこよかっただろ……
タイトルについてはさておき、ここ最近なりを潜めていたソーのやんちゃっぷりがいかんなく発揮されててなんだかほっこりしました。
すっかりいじられキャラが定着したロキとの兄弟関係も良き。
ソーと同じく出番がなかったハルクの元気な姿……というか、本編を見ていないので、キャラクターとしてのハルクを見られたのは初めてだったかもしれません。
ハルクとバナー博士、両者を言葉巧みになだめるソーに笑ってしまったw
キャラたちは明るいものの、ストーリーは逆境も逆境。
敬愛していた父を亡くし、守るべき国もヘラに奪われ、文字通りゴミ溜めからのリベンジ。
冒頭に割とあっさり倒されたスルトや、囚われたソーと同じく奴隷だった面々等、皿に並べた要素を綺麗に使い切っての完走は構成がしっかりしているなと感じました。
しかし、ソーが雷神として覚醒しても勝てないヘラ強すぎだ……
「民が国を作る」……ソーが次代の王として下した選択に、敬意を表したいです。
ブラック・パンサー
スパイダーマンと同じく「シビル・ウォー」で顔見せしたニューヒーロー。
「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」の頃から名前が出ていた秘密国家ワカンダの内情が描かれます。
まず、目を惹いたのがブラック・パンサーの造形。
派手な彩色の多い他MCUヒーローと比べると、鮮烈な黒一色。
まさに黒豹を連想させる力強さとしなやかさを兼ね備えたフォルムに、「影」から国を支える黒子や暗殺者としての意味合いも感じられます。
シンプルだけどカッコイイ。どちらかというとMCUよりもDCっぽいですかね?
ストーリーは、「シビル・ウォー」で父を亡くし、若くして王位を継承したティ・チャラが、国が抱える様々な問題に直面し、戸惑いながらも自分なりの答えを見つけていく――
世間の目から隠れて暮らす民族らしい独特な雰囲気や、部族間の微妙な関係、そして、現実ともリンクする「救いの手をどこまで伸ばすべきか」という難題に立ち向かう。
助けを求める手を掴んだせいで、自国の民を泥沼に落としては本末転倒。
しかし、自分たちには余りある力があるのに、それを外に向けないのは罪なのか否か。
単純に「悪者をやっつける」「世界の危機を救う」だけでは片付かないテーマを挙げ、王として父が選ばなかった「変化」の道を進んだブラック・パンサー。
外面内面共に、いい意味で異質な作品でした。
アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー
まず、俺はクロスオーバーが大好きな人間です。
MCUに興味をもったきっかけも、様々な作品のヒーローが一堂に集結するシーンがあるからです。
その点では、「インフィニティ・ウォー」はご褒美以外の何物でもない。
初代アベンジャーズからヒーローの人数もかなり増え、「シビル・ウォー」では出番のなかった面々や、そもそも世界観のスケールが違った「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」等、全てが絡み合っていく。
初顔合わせでは相変わらず口喧嘩から入るヒーローたちに苦笑いしつつも、ワンダとヴィジョンのピンチにはキャプテン、ウィドウ、ファルコンが駆けつけ、ワカンダでの決戦で劣勢になると、復活したソーが大立ち回りを演じる。
ここまで(ほぼ)全作品を見てきたからこそ、面白さが分かる。
彼らの個々の活躍を見て思い入れがあるからこそ、登場シーンに興奮する。
なんて贅沢な映画なんだと、思った、んですが。
分かっていたとはいえ、やはり「敗北」は辛い。
冒頭のアスガルド全滅は、つい数時間前に「バトルロイヤル」を見終わって新たな希望を感じたのにそれが無残に叩き潰されていたし、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のヒロインであるガモーラも容赦なく命を落とす。
サノスが人口を半分にする「スイッチ」を起動し、次々とヒーローが消えていくわけですが、その人数の多いこと多いこと……まさかクイルやピーターのような主人公ポジションのキャラまで消えることになるとは思いもよらなかった……
何より、「おのれサノス! この血も涙もない外道が!!」って憎しみを向けられないところが辛い。
罪もない多くの人々の命を奪ったところだけ見れば、何度地獄に落ちても足りないほどの悪党ですが、それを実行した理由は、「増えすぎた命を整理し、星を長生きさせるため」。
人間による環境破壊は一向にとどまることはなく、若者が減少し高齢者社会まっしぐらな現状を見ていると、余りにも過激な発想とはいえ、一応の理はあるんじゃないかと思えてしまいます……
そして、サノスにはヒーローたちと同じように家族を愛し、死を悲しむだけの情がある。
常人なら絶対に両立しないはずの感情を両立させてしまっている、異常なサイコパス。
ヴィランに怒ることも出来ず、どうしようもない空しさで胸がいっぱいになる。
今はすぐに続きを見られるからいいものの、当時劇場で鑑賞した人々は、一体どんな感情で映画館を後にしたのだろうか……
でも、新規メンバーが続々と消えていく中で、アイアンマン、ソー、キャプテン、ウィドウ、ハルク、登場はしなかったもののホークアイと、初期アベンジャーズが残るのは本当に胸熱。
ちょうどよく「インフィニティ・ウォー」から少し間を置いての鑑賞でした。
いやいや、あのエンディングの後、すぐこれは見られんて……
前作の「アントマン」同様、テーマは分かりやすく、家族のためにがんばるヒーロー。
終始カラッとした雰囲気で描かれ、伸縮を自在に使ったアクションは、アントマンや相棒のワスプだけでなく、車や建物まで小さく出来るようになったため、さらにバリエーションに富んだ映像になっていましたね。
見ていて常に楽しさを提供してくれる、上質なエンターテインメント。
冒頭のスコットとキャシーが楽しく遊んでいるシーンや、もう会えないと思っていたホープの母親、ジャネットとの再会等、家族愛が伝わってくるところはベタながら感動しました。
ストレートに面白い。コメディポイントも多く、安心して楽しめる作品でした。
あと、アントマンの巨大化はデメリット有りの説明あったのよかった。
「インフィニティ・ウォー」との時系列が気になりながら見てたんですが、ラストでね……うん……
やっぱそうなるのかぁ……幸せそうなエンディングからの落差が辛い。
これは……フューリー萌え映画か!?
主人公、ヴァースの失われた過去を追いかけながら、アベンジャーズ結成の経緯に至るまでを語る前日談……
と、いうよりも「インフィニティ・ウォー」のラストでフューリー長官が送ったポケベルの送信先、そこにいたキャプテン・マーベル誕生を描いた作品でしたね。
ヴァースことキャロルは、女性の社会進出の理想型を描いたような、シンプルに「強い」女性。
力を授かる前からも男尊女卑社会の中で、何度倒れても諦めずに立ち上がり、たくましく生きてきた。
そんな彼女だからこそ、力を授かり、「ヒーロー」になれたのかもしれません。
あとはもう、猫(クラーケン)と戯れるおじさんにひたすら萌えてました。
吹き替え版で鑑賞してるので、竹中直人の渋いボイスからの落差がたまらねえぜ。
「アベンジャーズ」で命を散らしたコールマンさんがまた見られたのもうれしかった。
ラスト、「エンドゲーム」に繋がるエピローグで、否が応でも期待が高まってしまう……
以上、5作品の感想メモでした。
そして、ついに辿り着きました。
「アイアンマン2」を見始めた頃は、途中で飽きてしまうんじゃないかなんて考えてましたが、全くの杞憂でしたね。
どの作品も、きちんとキャラクターに愛着がわく良作揃いでした。
いよいよ、「エンド」。
リアルタイムで追っていた方々よりも思い入れは薄いでしょうが……
自分なりに、アベンジャーズの区切りを見届けたいと思います。