にわかオタクの雑記帳

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遊戯王 New stage 番外編 ジェムナイトは砕けない-18

 話は数時間前に遡る。
 まだ朝日すら昇っておらず、多くの人々が眠りの世界に身をゆだねている中、旧サテライト地区から帰ってきた神楽屋は、その足で詠円院を訪れていた。病院としてはかなり小さな建物で、下手をすると民家に間違えられてしまいそうだが、その分アットホームな雰囲気を感じる。以前、サテライトにあった「旧詠円院」は信頼できる他の医者に任せてあるらしい。
 渡されていた合鍵を使って職員用の出入り口から中に入る。当然のごとく中は静寂に包まれており、微かに光る照明が、歩くのに不自由しない程度に辺りを照らしていた。
 1階は受け付けや診察室、リハビリ室などがあり、2階には少ないながらも入院患者用の部屋がある。部屋は全て個室だが、神楽屋は一度も利用したことはなかった。
(……正義の味方を気取ってた頃は、しょっちゅう入院してたっけな)
 病院――詠円院ではない――の白いベッドの上でいきがる自分の姿を思い出し、今さらながら恥じる。あの頃の自分は、どれだけ自信過剰だったのだろう。
 これ以上過去を振り返っても、痛々しい自分を思い出すだけだ。神楽屋は思考を切り替えると、2階へ向かって進もうとする。そこには、一昨日神楽屋を襲った刺客――豹里によって<突然変異>という魔法カードの効果を具現化され、<カオス・ウィザード>に姿を変えられてしまった2人の男――が入院しているはずだった。刺客たちは体こそ元に戻ったものの、意識は回復しないままだった。矢心女医の話では、「異常に衰弱している」とのことだ。まだ目は覚めていないだろうが、一応様子を見ておきたかった。
「こんな朝早くからお見舞いだなんて、ひょっとして男にでも目覚めたのかしら? 神楽屋君」
 ちょうど階段の一段目を昇ろうとしたところで声をかけられ、神楽屋はびくりと体を震わせる。危うくひっくり返るところだった。
「……矢心先生。脅かさないでくれよ」
「あら、図星?」
「違うっての!」
 何とか平静を装いつつため息を吐くと、銀髪を三つ編みに結った女性――矢心詠凛はくすくすと笑った。白衣を着て壁にもたれかかる姿からは疲労の色が伺えるが、神楽屋をからかうくらいの元気は残っているらしい。
「それで? 何か急ぎの用事かしら?」
「いや……」
 冗談とはいえホモ容疑をかけられた後では、素直に男たちの様子を見に来たとは言いづらい。未遂に終わったとはいえ、年下の少女に「抱いて」と迫られたのにそれを断ってきたとなればなおさら――
(……違うな)
 分かっていた。入院した男たちの様子を見に来たなど、こじつけの理由でしかないことを。ただ、恥ずかしさを隠すために見栄を張りたかっただけだ。
「……少し話をしましょうか。付き合ってくれる?」
 それを見抜いたであろう矢心は、優しげな声で問いかけてくる。この人には敵わないな、と思いつつ、神楽屋は頷いた。
 矢心に促され、診察室へと足を踏み入れる。節約のためなのか、部屋自体の照明は落とされており、机の上に置かれたデスクライトの白い光が煌々と輝いている。カルテの整理でもしていたのだろうか、机の右端にはカルテが丁寧に積まれていた。
 矢心は部屋の奥に進むと、窓際に置かれたポットからカップにお湯を注ぐ。
「何か飲む?」
「お構いなく」
 「そう」と呟いた矢心は、苦みの濃い香りを漂わせるコーヒーを片手に、キャスター付きの椅子に腰を下ろす。それを見て、神楽屋も患者用の椅子に座った。
「……そんな顔してるってことは、あの子の依頼は断ったのかしら?」
 図星を突かれ、口元がひきつる。一昨日刺客の男たちをここに運び込んだとき、おおよその事情は説明していた。
「……ああ」
 神楽屋は言葉少なに肯定する。矢心はコーヒーを少しだけ口に含み、ジッと神楽屋を見つめてくる。言葉の続きを待っているのだ。
 言おうか言うまいか迷った挙句、結局神楽屋は口を開いた。
「全部あいつらの責任じゃないってのは分かってるさ。けれど、俺は……ミカドを傷つけたファントム・ハルパーを許すことはできない。例え今ゴースト・エンペラーにいるメンバーが、ミカドに直接手を下していなくても、だ」
「……だから、あの子に手を貸すことはできない?」
 首肯する。矢心の言うあの子――ほたるに直接言った通り、自分は正義のヒーローになどなれない。自分の感情を優先して、助けを求める手をはねのける、ちっぽけな人間なのだ。
 矢心はカップを机の上に置き、両腕を胸の前で組んだ後、残酷なくらい優しい声で言った。

「本当に、それだけ?」

「――――」
 息が止まるかと思った。いや、実際に少しは止まったのかもしれない。
 図星なんてものじゃない。心の壁のほんの小さな抜け穴を鋭く突かれたような気分だった。
 矢心は言葉を続けない。黙って、神楽屋の反応を待っている。
 この人は、俺の心を見透かしているんじゃないだろうか。最近、割と本気でそう思うようになってきた。観念した神楽屋は、隠しておくつもりだった「もうひとつの理由」を告白する。
「……怖いんだ。また、失敗するんじゃないかって」
 両脚の骨を砕かれ、苦しみ呻くミカドの姿。目をつむればいつでも鮮明に思い出せる。
 仕事で何度も人を助けても。異世界でとある青年と共に少女を救っても。
 いくら強がっても、ミカドを助けられなかったときに感じた恐怖は消えることはない。
 創志や天羽に助力を頼めば、誰かが一緒ならきっと自分は最後まで強がることができる。
 けれど、これは俺が受けた依頼だ。それに、この先ずっと誰かに頼るわけにはいかない――神楽屋はそう思っていた。無理に依頼を引き受けて相手にいらぬ期待を抱かせるくらいなら、手を引くべきだと。
 これがファントム・ハルパーの絡まない単純な依頼なら、ここまで思いつめることはなかっただろう。創志に出会い、彼らと一緒に何でも屋を営み、そして、異世界で「間違ってしまった青年」と共に肩を並べて戦い――神楽屋は変わった。少なくとも、レボリューションで腐っていた頃の無気力な男はいない。
 だが、ほたるが伸ばした手を取れるほど、何もかも吹っ切れたわけではない。
「迷うようになったか。神楽屋君も大人になったわね」
 神楽屋の言葉をじっくり反芻できるくらいの時間を置いてから、矢心は微笑みながら言った。
「私は、今の人間臭い神楽屋君のほうが好きよ。昔の君は、人助けしか眼中にない獣みたいだったから」
「け、獣……」
 そんな例え方をされたのは初めてだった。思わず肩の力が抜けてしまう。
「けどね。人助けで迷うような今の君は――神楽屋君らしくないとも思うわ」
 ハッキリと告げた矢心の声は、不意打ちのように神楽屋の心を揺らす。
「俺らしくない……?」
「ええ。自分が本当は何がやりたいのか……それを見失っているんじゃない?」
 自分らしさ。自分が本当にやりたいこと。しばらく考えていなかった――いや、考えないようにしていたことだ。
 だって、自分にはその資格がない。
 間違った自分には、人助けを欲張る資格なんてない。
 矢心は静かに机の引き出しを開けると、1枚のカードを取りだす。カードを保護するために厚めのローダーに入れられたカードを、矢心は慎重な手つきで差し出してきた。
 <ジェムナイト・パーズ>。
 かつて、神楽屋に憧れていた少年に、お守り代わりに預けたカードだ。
「本人は自分で返すって言ってたんだけれどね。どこかの誰かさんがミカドを避けているみたいだったから、私が預かったのよ。いつか、このカードを必要としたときに、すぐに渡せるように」
「…………」
「それと、預かったのはカードだけじゃないわ」
 戸惑う神楽屋に対し、矢心は息を整えてから、少年から預かった伝言を告げた。

「あの子は言ってたわ。テル兄ちゃんは今でも僕のヒーローだよ、って」

 不意に、涙がこぼれそうになった。
 それを懸命にこらえながら、神楽屋は口を開くが、そこから出てきたのは言葉にもならない呻き声だった。
 救われたような気がした。
 いくら言葉を重ねても――心のどこかでは絶対に恨んでいるだろうと思っていた。
 神楽屋のせいで歩けなくなり、その張本人は何も言わずに姿を消した。例え言葉や態度に表さなくても、ミカドは自分に対して憎しみを抱いているだろう。そう覚悟していた。
 けれど、違った。
 ミカドは未だに信じてくれているのだ。神楽屋が記憶の奥底に封じ込めようとしている、正義の味方を。
「……月日を重ねるにつれて、人は夢と現実の境目に気付いていく。そうして人は大人になっていくわ。いつまでも幻想ばかりを追いかけているわけにはいかない。それを理解しているからこそ、迷うのよ」
「矢心先生……」
「君は大人になったわ、神楽屋君。でも、何もかもを悟ったように諦めてしまうほど老いてはいないはずよ。たまには昔みたいにカッコつけてみなさい。……君を信じてくれている子のためにもね」
 何故、迷うのか。
 何故、簡単に諦められないのか。
 答えは明白だ。神楽屋の中に、未練が残っているから。
 正義の味方になることへの、未練が。
 神楽屋は、その選択肢を手放したはずだった。
 妥協して、折り合いを付けながら生きていくつもりだった。
 けれど――
「……分かったよ。矢心先生」
 今回くらいは、自分の気持ちに正直になろう。子供の期待に応えるのも、大人の責任だ。
 差し出されたカード、<ジェムナイト・パーズ>を受け取った神楽屋は、表情を改める。
「……麗千とミカドはまだ起きてないよな」
「ええ、ぐっすりだと思うけれど。あの2人に聞かれたくない話かしら? それとも――」
「ああ。2人に頼みたいことがある」
 正義のヒーローというものは、その使命ゆえに孤独であることが多い。
 しかし、今の神楽屋は違う。
 全てを無理矢理背負いこんで、潰れてしまった昔とは、違う。