にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

遊戯王 New stage 番外編 ジェムナイトは砕けない-15

 昔、少女には別の居場所があった。
 父と母、そして4つ年上の兄。貧しさなど気にならないくらい、幸せで満ち足りた生活を送っていた。
 父が大好きだった。母が大好きだった。兄が大好きだった。
 そして、家族が揃う我が家が、大好きだった。
 けれど、それは唐突に奪われた。
 いつも通りの日常だった。たまたま父と兄の休みが重なり、家族みんなで出かけようとしていたときだ。闇市を見て回り、帰りに外食でもしよう。そんなささやかな予定だったが、ほたるは楽しみにしていた。
 闇市に向かう途中、家族みんなで乗っていたバスが、事故を起こした。
 道路脇にあった建設途中のビルから、いくつもの鉄骨が降ってきたのだ。バスはそれを避け切れず、直撃を受けた。運転手を含め大勢の乗客が命を落とし、奇跡的に助かったのは数人だけという凄惨な事故だった。
 ほたるは、助かった。後遺症が残るほどの大怪我も負っていなかった。
 父は死んだ。母も死んだ。兄も死んだ。
 ほたるの居場所は、あまりにも残酷に、理不尽に奪われたのだ。
 その後、兄の友達だった四宮の誘いで、デュエルギャング――ゴースト・エンペラーに入ることになった。ゴースト・エンペラーの人たちとは何度か顔を合わせていたし、見知らぬ人間ばかりの孤児院に行くよりはマシだと思ったのだ。
 そして、そこはほたるにとって次の居場所になった。
 昔ほどとは言わないが――今の自分も十分幸せだと思っている。
 だからこそ。
 失う恐怖を知っているからこそ――
 ほたるは、走らずにはいられなかった。

◆◆◆

 神楽屋の居場所を突き止めた頃には、すでに日は沈み、静かな闇が辺りを覆っていた。
 渡された名刺に書かれた電話番号にかけてみたが、空しくコール音が響くだけだった。本人と直接連絡を取ることを諦めたほたるは、周辺住民に聞き込みを続け、ようやく神楽屋が近くのホテルに泊まっていることを突き止めた。まだ旧サテライト地区を去っていなかったことを意外に思いつつ、彼の泊まるホテルまでやってきたのだが――
「…………っ」
 これからやろうとしていることへの恐れから、足がすくんだ。
(……こんなところで怖気づいてちゃダメだ。何にもできないあたしだけど、せめて、これくらいはやらないと)
 決心を新たにして、ホテルの扉を開いた。
 ホテルと言っても、シティにあるような高級感溢れるビルではなく、打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しの簡素な建物だった。二階建てだがそれほど面積は広くないようで、民宿と表現した方がしっくりくるようなつくりだった。
 旧サテライト地区、しかもまだ復興計画のメスが入っていない区画にあるせいか、セキュリティは甘い。受付の人間に神楽屋が止まっている部屋を教えてほしいと頼むと、すぐに答えてくれた。1階の大部分を占めている酒場――人が少ないせいで随分貧相に見えた――を抜け、神楽屋が泊まっている2階へと進む。
 教えてもらった部屋の前まで辿りつくと、一度大きく深呼吸をする。バクバクと心臓が早鐘を打つ。緊張のせいで、手の平がじっとりと汗ばむのが不快だった。
 意を決し、扉をそっと開く。幸いなことに、鍵はかかっていなかった。
「――誰だ!」
 途端に鋭い声が飛ぶ。ほたるは一瞬だけ体をすくめるが、勢いのままに部屋の中へと突入した。
「――ッ! ……って、お前かよ……」
 見れば、咄嗟に身構えつつも、相手がほたるだと分かり、体を弛緩させる神楽屋の姿があった。再び会えたことにホッと胸をなでおろしつつ、辺りを見回す。
 部屋は狭く、シングルベッドにほとんどの面積を占拠されていた。幾何学模様が適当に描かれた壁紙は見ているだけで頭が痛くなりそうだし、風の通りが悪いせいで蒸し暑い。それは神楽屋も同じようで、シャツとジャージに着替えた彼の首筋から、汗が流れた。
「……何の用だ?」
 気まずそうに視線を逸らしつつ、神楽屋はぶっきらぼうに言う。話すことはもうない、と態度で示しているかのようだった。
「……分かってるでしょ? もう1回頼みに来たのよ」
 後ろ手でドアを閉めたほたるは、強気を装う。内心は口から心臓が飛びだしそうなくらい焦っていた。
「不正を暴け、なんて無理難題は言わない。あたしたちを――ゴースト・エンペラーに力を貸してよ。豹里兵吾から、あの場所を守りたいの」
 もう二度と、居場所を失いたくない。
 あんな悲しい思いは、絶対に味わいたくない。
 そんなほたるの決意も空しく、ため息を吐いた神楽屋は、くるりと背を向ける。
「断る。言ったろ? 俺はヒーローじゃない。この場だけ昔の因縁を流して手を貸すなんて器用な真似はできないし、それは三隅やファントム・ハルパーの連中だって同じだろうぜ」
 神楽屋の言う通り、坂之上がやられたくらいで、三隅が助力を承諾するとは思えない。
 それでも、ほたるは神楽屋に傍にいてほしいと思っていた。シティを案内してくれたときのように、手を引いて欲しいと思ったのだ。
「それに、こっちはビジネスでやってるんだ。ボランティアじゃない。割に合わないと感じたら、降りるくらいのことはさせてもらうさ」
「……じゃあ、仕事に見合うだけの報酬があればいいってこと?」
「普通の仕事ならそうだろうな。けど、今回は――」
 首を回してこちらを見ようとした神楽屋の口が、あんぐりと開いたまま固定される。
「あたしなんかじゃ、足りないかもしれないけど……」
 これ以上ないほど頬が赤くなっているのが分かる。耳もだ。一度手を止めてしまうと、恥ずかしさに負けてしまいそうだったので、懸命に指を動かし続けた。
 ぷち、ぷち、ぷち――
 シャツのボタンを外し、腕を引きぬく。汗ばんだワイシャツを脱ぎ捨てると、今度はスカートのホックに手をかけた。
「な、バカ! お前――」
 慌てて両目を閉じた神楽屋の頬が、ほたると同じように赤くなる。年上の男性のうぶな反応に、ほたるは不覚にもかわいいと思ってしまった。
 ストン、と呆気なくスカートが滑り落ちる。
「あたしの……あたしの、初めてをあげるから……だから……」
 下着姿になったほたるは、羞恥に耐えかね身を縮める。顕わになった白い素肌を生ぬるい風が撫で、ほたるは自分の体が汗臭くないだろうかとか、胸があんまり大きくないけど大丈夫だろうかとか、余計なことばかり気になり始める。
 けど、もうこれくらいしか思いつかない。
 神楽屋だって男だ。女を抱くことが報酬の代わりになることもあるだろう。
 死ぬほど恥ずかしい。けれど、これからもっと恥ずかしいことをするんだ。
 もちろん、こんな形で純潔を散らすことは嫌だ。けれど、神楽屋になら――
 ――あたしを抱く代わりに、ゴースト・エンペラーを助けて。
 そう言おうと唇を引き結んだときだった。
 ふわり、と。
 ほたるの肩にかかるものがあった。見れば、神楽屋が着ていた縦じま模様のワイシャツだった。
「……無理すんなよ、ほたる」
「え……」
「震えてるぞ」
 ほたるのほうに向きなおった神楽屋は、視線だけは明後日の方向に逸らしつつ、落ち着いた声で囁く。
 言われて両肩を抱いてみると、無意識のうちに体が震えていた。それを認識した途端、膝ががくがくと震え、立っていられなくなる。
「そういうのは、もっと年上でボンキュッボンのお姉様がやるべきなんだよ。お前みたいな子供が背伸びしたって、ちっともエロくない――っと!?」
 思わず、言いかけていた神楽屋の胸に飛び込んでしまう。そうしないと、その場でへたり込んだまま立てなくなってしまいそうだったから。
 温かい――真っ先にそう感じた。
 大好きだった兄とよく似ていて、けれどちょっとだけ違う温かさ。
 強がっていた心を、張りつめていた気持ちを、徐々に溶かしてくれるような――陽だまりのような温かさ。
「う……うう……」
 ダメだ、と自制したものの、最早遅すぎた。
「うわあああああああぁぁぁぁぁん……」
 色んなものが決壊して、涙が溢れ出してくる。止められなくなる。
 神楽屋と別れるときにも泣いたのに、今度はそれ以上の涙が瞳を覆い尽くす。
「…………」
 青年は、黙って少女を優しく抱きしめた。
 懐かしさを感じさせる胸の中で、少女は泣き続けた。