にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

隙間を埋めるプラスティック-3

◆◆◆

 パチリ、と部屋の電気を点ける。暗闇が取り払われ、中の様子がはっきりと見えるようになる。
 この日、ノゾミはギフティアの定期メンテナンスのため、SAI社の施設に赴いていた。俺も契約主として同行するはずだったのだが、急な仕事が入ってしまい、やむなく断念した。
 結果としてその仕事はすぐにカタがつき、俺はまだ日が高いうちから自宅に帰ってくることになった。なので、ノゾミが来てからというもの任せきりにしてしまっている家事を、たまには自分でやろうと思い立ったのだ。
 よく晴れた日だったので、ベランダに干された洗濯物はもう渇いていた。それを取り込み、畳んで、ノゾミの服は部屋に置いておこうとやってきた。
 部屋は綺麗に整頓されていたが、そもそもあまり物が増えていなかった。ノゾミは寝る時――充電も兼ねる――以外はリビングにいることが多く、あまり自室を使っていないようだ。
(そういえば、俺も自室にこもる時間が減っているな……)
 趣味の読書をするときも、ノゾミの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、リビングで読むことが多い。後ろからノゾミがどんな本を読んでいるのかと覗きこんできては、さっぱり分からないと目を回していることが何度もあった。
 服を持ってきたはいいが、どこに置けばいいのか分からなかったので、とりあえず手近なテーブルの上に乗せる。そこで、ギフティア用の椅子型充電機、その手すりに当たる部分が、チカチカとランプを点滅させていることに気付いた。
 何かの不具合かと思い確認すると、手すり部分が点滅していたのではなく、その上に置かれていたスマートフォンが光っている。
「これは……」
 ノゾミにも連絡用に一台持たせているが、機種が違う。置かれていたのは、生前、友が使っていたものだ。ストラップにも見覚えがある。充電用のコードが繋がれており、電源が入っている。
 どうしてこんなものが、と疑問を覚えているうちに、スマートフォンがバイブ機能によって震える。着信かと思ったが、違う。SNSでメッセージが届いたことの通知だ。
「…………」
 娘には友達が多かった。だとしたら、友が亡くなったことを知らずにメッセージを送り続けている人がいるのではないか。そう思った俺は、確認のためにスマートフォンを操作してSNSのアプリを立ち上げる。チャット機能を用いて友達と手軽に会話できるタイプのものだ。
 メッセージは、やはり友の友人からだった。しかし、送り主は友が亡くなったことを知っているようだ。それでもまだ自分の中で消化できずに、未練がましくメッセージを送り続けている――そんなことが綴られていた。
 送り主は友とかなり親しかったらしく、親友と呼べる間柄だったのだろう。画面をスクロールさせ、履歴を遡る。「友がいないなんて信じられない」「ひょっこり顔見せるんじゃないかって期待してる」「夢じゃないんだよね」――友人からの悲痛なメッセージが並ぶ。
 友との思い出も書かれていた。どうやら、娘は家で見せていた顔とは別人のように、明るく社交的だったようだ。常に輪の中心にいて、皆から慕われている……とても自分の血を引いているとは思えない。
 気付くと、履歴は事故当日近くまで遡っていた。あの日は携帯電話を家に忘れてしまったため、事故で壊れることはなかった。
 罪悪感を覚えつつも、俺はさらに画面をスクロールさせる。すると、友本人のメッセージが現れ始めた。
 他愛のない会話がほとんどだ。けれど、そこには俺の知らない娘の姿があり――自分は何も知らない駄目親父だった事実を見せつけられているようで、胸が痛んだ。
 一瞬、指が止まる。
 けれど。
 ここで目を背けていたら、自分にだけ都合のいいことを繰り返していたころと変わらない。
(俺は、もっと友のことを……娘のことを知らなきゃいけない。これからのためにも)
 娘が、本当は何を求めていたのか。
 それを知るために、俺はひとつひとつのメッセージに目を通していく。

【友はさ、将来の夢とかってあるの?】

 授業の選択科目をどれにするか、という話題から、将来のことを尋ねたメッセージがあった。

【まだ漠然としてるけど……わたしは栄養士になりたいと思ってる】

 もちろん、初耳だった。俺から進路について尋ねたこともないし、高校も本人が自分で選んでいた。


【栄養士? 確かに、友って料理うまいもんね】

【そういうわけじゃないんだ。わたし、がんばってる人のサポートがしたいの】

【サポートって、運動部のマネージャーとか?】

【ちょっと近いかも。でも、わたしが一番サポートしたいのはお父さん】

【やだー、友ってファザコン?】

【そんなんじゃないったら! お父さん、いつもわたしたちのためにがんばってくれてるから】

【あと、お母さんみたいに体の弱い人を、元気づけてあげられたらって】


「お父さん?」
 不意に背後から声をかけられ、俺はびくりとしながら振り返った。そこには、帰宅したノゾミが不思議そうに首をかしげながら立っている。
「あ……いや、これは……」
 うまく言葉が出てこないのは、勝手に部屋に入ったやましい気持ちがあったから――

「お父さん、泣いているんですか?」

「え……」
 気付かなかったことが嘘に思えるくらい、涙が溢れていた。まるで、きつく締められていた蛇口が、開かれたように。
 ノゾミは優しく微笑むと、そっと両腕を広げた。
 俺は、ふらふらとした足取りで進み、ノゾミの胸に顔をうずめた。
「うう……ううっ……くっ……」
 嗚咽が漏れた。こらえようとしても、無理だった。
 自分は、なんて幸せな人間なんだろう。
 自分勝手を押しつけた。それでも、妻と娘は不満を口にしなかった。
 それどころか、想われていたのだ。

「お父さんは、ずっとお父さんですよ。今も、昔も」

 ノゾミの柔らかな声が響く。
 過去の思い出の中にある家族の姿は、俺が理想とするものではなかったかもしれない。今のノゾミとの生活のほうが、俺の求める温かさがあるのかもしれない。
 だが、間違いなく碧は、友は、俺の家族だった。
 この家にあったものは、間違いなく「家庭」だった。それはもう分かっていた。
 その中で、俺は父親だったんだ。
 家族を失って寂しいと感じた。辛いと感じた。
 そして、今はこの悲しみを受け止めてくれる存在がいる。
「ノゾミ……」
「……何ですか? お父さん」

「……ありがとう。これからも、よろしく」

 ノゾミは、ゆっくりと頷いた。

◆◆◆

 今にして思えば、ノゾミは随分と物分かりがよかった。
 わがままは言う。拗ねることもある。けれど、最後には必ず頷いてくれる。
 それは俺も同じだった。どうしても抗えないことがあるなら、受け入れるしかない。もっとも、ノゾミと暮らし始めてから、多少諦めが悪くなったが。
 来客を知らせるチャイムが鳴る。

「こんにちは。第一ターミナルサービスの者です」

 ギフティアの寿命は、81920時間。
 それを過ぎれば、人格や記憶が崩壊を始める。その前に専門機関による回収が義務付けられている――ノゾミのリース契約を結んだ際に、説明されたことだ。
 ずっと一緒にはいられない。それは人もギフティアも変わらない。
 だから。
 別れは悲しい。悲しさを感じるべきだ。碧との別れのときも、友との別れのときも、俺は涙を流すことができなかった。
 今度は、どうだろうか。
 それが明らかになる瞬間は、すぐ目の前まで迫っている。