にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

隙間を埋めるプラスティック-1

「西山実(にしやまみのる)さんですか? 実は、娘さんが交通事故に遭われて――」
 娘である西山友(とも)が、信号無視をした車に轢かれて意識不明の重体になっている……務めていた会社のオフィスでその連絡を受けたとき、私は自分でも驚くくらいに冷静だった。我が子が生死の境目を彷徨っているにもかかわらず、どこか他人事のように思えた。
 上司に事情を説明し会社を早退。友が運び込まれた病院へと辿りついたときは、緊急手術の真っ最中だった。私は近くの椅子に腰かけ、腕を組みながらじっとうなだれていた。娘の無事を祈っているはずだったが、心のどこかでは「もう助からないだろう」と割り切ってしまっている自分がいた。
 そして、事実はその通りになった。
 医師たちの懸命の努力は空しく、私の娘――西山友は帰らぬ人となった。
 事務的に手続きが進み、葬式を迎える。
 その時になって初めて、私は娘に大勢の友達がいたことを知った。
 高校生になったばかりの娘を見送るために、同級生だけではなく中学の後輩や高校の先輩、両校の先生までもが訪れた。誰もが不幸な結果に涙し、娘との別れを惜しんでいた。
 泣いていないのは、自分だけだった。
 こうして、我が家には仏壇には二つの写真が飾られることになった。
 一枚は娘のもの。もう一枚は、妻の碧(みどり)のものだ。
 生まれつき体の弱かった妻は、三年ほど前に肺炎をこじらせ、他界していた。不平不満をもらさず、仕事一筋な私を優しく出迎えてくれる、身内の贔屓目を抜きにしてもよくできた妻だったと思う。彼女のわがままを、私は一度も聞いたことがなかった。
 娘は妻と仲がよかった。よく一緒に買い物などに行っていたようだが、仕事で疲れている私を気遣ってか、余計な話はしなかった。そのため、どんなところでどんなものを買っていたのか、私はまるで知らなかった。
 妻が亡くなったあとも、私は娘とあまり会話をしなかった。お互いに嫌っていたわけではない。ただ、幼い頃から「余計なことは話さない」という習慣が染みついてしまい、話すことはゴミ出しの日程や足りなくなった日用品の報告など、家庭内での報告事項だけだった。娘も母親が亡くなったことには悲しんでいたが、それよりも「自分がしっかりしないと」といった自立心の向上が先立ち、いつまでも引きずるようなことはなかった。
 表面上は何の問題もなく、日々は過ぎていた。
 「家族に貧しい思いをさせてはいけない」――父親に常日頃から言い聞かされてきた言葉だ。私は努力をして有名なIT企業に就職。日々仕事に明け暮れ、一般的なサラリーマンの平均よりもやや水準の高い生活を送れるようにしていた。残業も休日出勤も、自ら進んで行った。さらなるステップアップのためだ。
 私も、妻も、娘も、誰も不満を口にしなかった。
 そして、二人を失い、この家が……都心の閑静な住宅街に建てた二階建ての家が、空っぽだったことに気付いた。


 一人暮らしをしていた頃に戻っただけ。生活するのに何の支障もない。昔は妻が、最近までは娘がやってくれていた家事も、休日にまとめてこなせばいいだろう。食事は、コンビニ弁当や出来合いの惣菜、外食の割合を増やし、余裕があるときだけ自炊しよう。
 娘の葬式を終えて一ヶ月が経過した頃、私はスーパーで買い物を終え、自宅へ帰宅した。「ただいま」の挨拶は言わなくなった。当たり前だ。出迎える人間などいないのだから。
 リビングの明かりを点ける。買い物袋をテーブルに適当に置き、何となくテレビの電源を入れた。昔はテレビが嫌いで、静かな部屋で読書をしていることが好きだったのに、今は何かの雑音が聞こえていないと落ち着かなくなっていた。
 何故か? 問うまでもない。
 家族を持ってしまったからだ。
 他人から見れば薄っぺらく、冷たいものだったかもしれない。それでも、私には間違いなく妻がいて、娘がいて、この家で共に暮らしていたのだ。
 妻が包丁で野菜を刻む音が、娘がシャーペンでノートに書き込む音が、些細な生活音がなくなってしまったことに、私は寂しさを感じ始めていた。葬式では涙を流さなかったくせに、どこか他人事のように考えていたくせに、今になって人並みの感情が顔を覗かせ始めていたのだ。
 私は、なんて自分勝手な人間なのだろう。
 家族よりも仕事を優先したくせに、家族の温もりを失ってから求めようとしている。
(……今日は、変だな)
 感傷に浸りすぎている。気持ちを切り替えようと、私は買い物袋から食材を取り出す作業に移り、
「――あなたの生活に温もりを。SAI社がお届けする高性能アンドロイド、ギフティア」
 ふと、テレビが流すCMに目を奪われていた。
 ギフティア――人間とほとんど見分けがつかないほど精巧に作られたアンドロイドの総称。現代社会では相当数が普及しており、私の会社でも雑務係として数体のギフティアを所有している。中には、ギフティアに育てられた子供もいるそうだ。
 存在は知っていたが、自分には無縁のものだと思っていた。私の担当している仕事はギフティアの手を借りるほど人材不足には陥っていなかったし、周囲の人間にギフティアをリース契約している者はいなかった。
「……本当に、今日の私はどうかしているのかもしれない」
 思わず、声に出してしまった。画面の中で笑うギフティアの少女。その笑顔を見て、少女と共に暮らす図を想像してしまうなんて。
 いくら人間と見分けがつかないとはいえ、所詮は機械だ。それに、確かギフティアには限界稼働時間が設定されており、いずれは回収される。人間よりも長く生きられないという点では、ペットに近い。
 そんなものを買ったところで、妻や娘と暮らしていた日常が戻るはずがない。
「…………」
 理性ではそう判断しつつも、私はスマートフォンでギフティアのリース契約について調べ始めていた。

◆◆◆

「はじめまして! ノゾミといいます! あなたが、あたしのお父さんになるんですね! 今日からよろしくお願いします!」
「よ、よろしく」
 元気いっぱいなギフティアの少女――ノゾミの挨拶に、私は若干気圧されてしまった。ノゾミの性格は事前に説明を受けていたが、予想以上の明るさだった。
 明るいブラウンの髪をショートカットにした、小柄な少女だ。年齢は十一歳くらい。くりくりとよく動く大きな瞳が印象的だった。本当に人間と見分けがつかない。言われなければ、機械だとは分からない程だ。
 娘の友は髪を伸ばし、妻の碧によく似て大人しそうな外見をしていたので、ノゾミとは似ても似つかない。正反対の性格を選んだのは、「彼女は自分の本当の娘ではなく、ギフティア」だと言い聞かせるためだ。
 諸々の説明と契約を終え、私はギフティアの借主となった。
「……じゃ、家に帰ろうか」
「はい! お父さん! あ、パパって呼んだ方がいいですか?」
「……お父さんで頼む」
 パパなんて呼ばれるガラじゃない、と心中で呟く。そもそも、会ったばかりの人間――ではなかったギフティアから「お父さん」と呼ばれることでさえ強烈な違和感なのだ。
 ノゾミは、元気いっぱいにスキップ混じりで歩き、度々私を追いこしては「道が分からない」と振り返って待ってくれていた。そんなことを繰り返しながら、日が傾き始めた街並みの中を歩き、自宅へと辿りつく。
「わー! すっごい大きいお家ですねー!」
 広々とした庭を見て感動したノゾミは、家の中に入ってからも何度も歓声を上げた。私にとってはすでに当たり前になってしまった光景でも、この家を初めて見た者には新鮮なのだろう。そういえば、私は一度も友人を招いたことがなかった。
 まずは、ノゾミに家の中を案内する。リビング、キッチン、客間、私の自室、風呂にトイレ――元気が有り余っている少女は走り回りたくて仕方のない様子だったが、それでも私の説明には真剣に耳を傾けていた。何がどこにあるのか等、家の見取り図を頭に叩きこんでいるようだ。
「部屋は、ここを使ってくれ」
「ここって……」
「友……娘が使っていた部屋だ。一通りの家具は揃っているし、掃除もしておいた。あとは、ギフティア用の調整器具を運びこむだけだ」
 といっても、日頃から綺麗にしていたようで、手間はほとんどかからなかった。加えて、棚の中や机の引き出しなど、開けることを躊躇った箇所はそのままにしてある。
「いらないと思ったものはゴミ袋にいれてまとめておいてくれ。あとで処分しておく」
「…………」
 ノゾミは頷かなかった。てくてくと部屋の中央まで進み、辺りを見回す。
「……分かりました。大切に使わせてもらいます」
 これまでとは明らかに違う、少女とは思えないほど落ち着いた声だった。雰囲気が変わったことに、私は思わず面食らってしまう。
 私の戸惑いを察したのか、ノゾミは再びにっこりと笑うと、
「お父さん、お腹空いてませんか? ご飯にしましょう!」
 たたたっと駆け寄ってきて、私の手を引っ張りキッチンへと移動した。ギフティアはアンドロイドだが、人間と同じように食事を摂ることができたはずだ。
「せっかくですし、あたしがお料理とってもうまいってところ、見せてあげます!」
 腕まくりをするポーズをしながら、ノゾミが冷蔵庫を開ける。が、その表情がすぐに曇った。
「あれれ……飲み物しか入ってない」
「すまない、あまり食材の買い置きはしない性質なんだ。いつもは、大体買ったもので済ませてしまうから」
「むむ! 聞き捨てならない発言ですね今のは! きちんと栄養バランスを考えて食事しないとダメですよ! お父さんみたいに働き盛りの男性は特にです!」
 人差し指を立ててぷりぷりと怒るノゾミに、私は苦笑いする。本当に表情豊かな子供だ。娘の友はもっと――
(……いや。私が知らなかっただけか)
「お父さん?」
 ノゾミが不安げに覗きこんでくる。深刻な顔を見せてしまっていたらしい。
「あ、ああ。何でもない。とりあえず、レトルトのカレーがあったはずだから、今日はそれで済ませよう。ご飯もパックのやつが――」
「ダメです! お父さんとの初めての食事がレトルトカレーなんて味気なさすぎます! 今から食材の買い出しに行きましょう!」
「い、いや、今日はもう遅いし……」
「まだ七時前です全然大丈夫です! ほら、行きますよお父さん!」
 結局ノゾミの強引さに流されるまま、近くのスーパーに足を運ぶ羽目になった。
 鼻歌交じりで食材を選ぶノゾミのあとを歩く。十分もスーパー内を巡っただけで、買い物かごはいっぱいになった。
「こんなに買うのか?」
「だって、二人分ですよ?」
「二人前どころかパーティでも開けそうな量なんだが……」
「買い置き分も含んでますから大丈夫です!」
 「本当に大丈夫なんだろうか……」と疑問を覚えたものの、会ったばかりのノゾミに口を挟む気が起きず、そのまま会計を済ませる。私は両手にパンパンに膨らんだビニール袋を持ち、再度帰宅した。
「すぐに作っちゃいますから、待っててくださいね!」
 ノゾミはすぐに調理に取り掛かった。私はリビングのソファに座り、何となくその様子を眺める。
 まな板で野菜を刻み、鍋の中で食材が煮える音がする。久々に聞いた、「生きた生活音」だった。
「出来ました! どうぞ、召し上がれ!」
 食卓に並んだのは、ご飯に味噌汁、鮭の塩焼き、肉じゃが、ほうれん草のおひたしと、和風な献立だった。どの料理も、食欲をそそる香りが立ち上っている。
「……朝食っぽいメニューだな」
「そ、そうですか? もしかして、嫌いなものありました?」
「いや、大丈夫だよ。いただきます」
 箸を取り、まずは肉じゃがのじゃがいもを口に運ぶ。醤油ベースでやや薄めの汁の味が口の中に広がり、ほくほくとしたじゃがいもは程よい噛みごたえを残している。
「おいしい」
 その一言で緊張が解けたのか、ノゾミはパッと顔を輝かせる。そして、自分も箸を取って食事を始めた。
「ちなみに、お父さんの好きな食べ物って何ですか?」
 茶碗に盛られたご飯が半分に減った頃、ノゾミが興味津々といった様子で問いかけてきた。
「……極端に不味いものやキワモノじゃなければ、何でもいい。特に好みはない」
「えー、それじゃ参考にならないですよう……どうしてもひとつ挙げるとしたら! カレーですか? それともハンバーグ?」
「……すぐには思い付かない。後でいいか?」
 私は少し苛立ちを覚えていた。これまで――妻や娘と一緒に食事をしていたときは、余計な話はせず、食事に集中していたからだ。団らんは食後で、それが暗黙の了解だった。別に食事中の会話が嫌いなわけではない。会社で同僚や部下と食べるときは――主に仕事の話だが――適度に会話はする。だからこそ、家では食事に集中したいのだ。
「そ、そうですか……それじゃ、お父さんの趣味って何ですか?」
「…………」
「えーと、あたしはですね! やっぱり体を動かすのが大好きで――」
「すまない。食事のときは極力喋らないというのが我が家のルールなんだ」
 話題を変えて続けようとするノゾミの言葉を、大きな声を出して強引に遮った。
 びくり、と肩を震わせたノゾミを見て、後悔する。言わなければよかった。
(これじゃ何も変わらない……)
 自分勝手を妻や娘に押しつけていた、あの頃と。
「ご、ごめんなさい……」
 謝るノゾミに、私は先程の発言を取り消そうとした。
「あ……」
 しかし、できなかった。理由はわからないが、喉に何かが詰まったかのように声が出なかった。
 違う、理由は分かっている。
 ひとつは、怖かったのだ。
 今日会ったばかりの人間――いや、アンドロイドに、急速に距離を縮められたのが。
 そしてもうひとつは、ノゾミのような子供にどう接したらいいのか戸惑っていた。子育てを経験したにもかかわらず、だ。
(……子供のことは碧に任せきりで、何もしてこなかったツケ、か)
 それ以降、私もノゾミも一言も喋らずに、初めての食事は終わった。