にわかオタクの雑記帳

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デュエルモンスターズ CrossCode ep-8th プロローグ-16

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 やってしまった。
 生木院多栄は、生涯最大級の後悔に見舞われていた。
 最悪の目覚めだった。髪はいつも以上にボサボサだし、寝ているあいだに泣いてしまったらしく瞼は腫れあがり目は充血していた。全身が鉛のように重く、腕を動かすことすら相当な気力を要した。
 枕元に置いた携帯電話を取り、電源を立ち上げる。途端に、新着メールが20件以上も届いた。全て真琴からのものだった。文面は様々だったが、昨日のことの謝罪と多栄を心配する旨は共通していた。
 大会後の悶着の末、多栄は2人の返答を待たずに逃げ出した。クロガネも真琴も当然ながら追ってきたが、大会直後だったため観客が大勢残っていたことで人ごみに紛れることができ、運良く逃げ切れた。
 そのまま帰宅した多栄は、何もする気力が起きずにベッドに倒れ込み……寝てしまったのだ。
 パーカーに短パンというお嬢様にはあるまじき出で立ちのままのろのろと起き上がった多栄は、玄関へと向かいそっと扉を開けてみる。
(……いないか)
 玄関の外で、クロガネが家に入れてもらえるのを待っているような気がしたが、都合のいい妄想だったようだ。期待していた自分に情けなさを感じながら、多栄は扉を閉めてリビングへと戻る。
(どんな顔して2人に会えばいいんだろ……)
 特に、連絡先も知らないクロガネのほうは、これが今生の分かれになってしまうかもしれない。そう思うと、後悔の念に押し潰されて涙が溢れそうになる。
(今日は学校休もう……)
 生まれて初めてのズル休みに、チクリと心が痛む。真琴のお弁当を作っていたせいで何度も遅刻しそうになったことはあったが、夢ノ司学園に進学してから休んだことは一度もなかった。学園ではちょっとした騒ぎになるかもしれない。
 学園に電話をすると、ちょうど担任の教師が出た。具合が悪い風を装うつもりだったが、その必要がないほど暗い声が出たことに自分でも驚いた。声色だけで体調不良を察した担任教師は、「無理せずゆっくり休みなさい」と優しい言葉をかけてくれた。
(そうだ、四十万さんにも連絡しておかないと……)
 学園から自分の欠席が生木院家に伝われば、確実にメイドが看病に来る。そうなれば体調不良の理由を訊かれるだろうし、クロガネと一緒に暮らしていたこともバレてしまうかもしれない。それを避けるために、多栄は四十万に電話をかける。
「あ、四十万さん。ごめんなさい、ちょっとお願いが……」
 四十万は詳しい事情を訊こうとせず、多栄の頼みを引き受けた。こうした四十万の気遣いが、いつも以上にありがたいと感じる。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
 そう言って電話を切ろうとしたところで、四十万が制止の声を上げた。何事だろうと思っていると、四十万はクロガネについての調査結果を報告してきた。
「えっ……それじゃあ……」
 多栄が見聞きしたクロガネの情報と一致する人間は、この日本に存在していない――四十万はそうまとめ、電話を切った。
 彼の言葉が脳裏に蘇る。
 僕はこの世界の人間じゃありませんから――
 クロガネは今、どこで何をしているんだろう。本当に異世界から来たのなら、行く当てもなく、また公園で野宿でもしているのだろうか。
 真琴からのメールを見返すが、クロガネのことについて触れたものは一通もなかった。
(もしかしたら、別の人に弟子入りしてるのかな……それとも元の世界に帰っちゃったとか……)
 ふと、クロガネがよく座っていた椅子を見つめてしまう。彼がいたのはほんの一週間足らずなのに、同居人のいないこの部屋がひどく広く感じるようになってしまった。
(結局、真琴の言った通りになっちゃったな……)
 一時の感情に身を任せた結果がこれだ。後悔してもしきれない。
 けれど、自分が間違ったことを言ったとは思わなかった。
 きつい言い方になってしまったのは自覚している。だが、多栄は今でもクロガネのデッキを改築したいと思っているし、デュエルに勝つためにはそれが最善だとも思っている。
 デュエルのことだけは、譲りたくなかった。
 生木院という希代の名家に生まれ、何も選ばなくても生きる道が用意されていた。その道に進むことを強制されても不満を感じなかったし、生木院家に生まれた以上それは当然だと思えた。
 そんな中で、デュエルモンスターズだけは唯一自分で選んだものなのだ。例えこれから先に切り捨てることになったとしても、そこに込めた想いだけは誰にも否定されたくなかった。両親にデュエルモンスターズを否定的に見られ、鬱屈した感情が溜まっていたからこそ、竜王になることを引き受けたのかもしれない。
「あたし……間違ってないよね……」
 1人きりの部屋で、誰に向けてでもなくポツリと呟く。
 子供の頃のデュエル友達が離れて行く光景が目に浮かぶ。もしかしてあれは、生木院家の娘だからということが原因じゃなくて――

「そうですね。貴女は正しい」

 あるはずのない返答が、部屋の中に響いた。
「――っ!? 誰!」
 突如響いた聞き覚えのない声に、多栄は軽くパニックを起こしながらも周囲を見回す。
「そして、貴女の正しさは……貴女の強さは、この世界に必要なものです」
 声は、寝室から聞こえていた。視線を向ければ、そこには白いローブを纏った男――声質で判断――が悠然と立っていた。ベッドの向こう側、ベランダに通じる窓はぴったりと閉じられているし、玄関の外に誰もいなかったのはこの目で確認した。一体いつの間に部屋に侵入したのか、多栄には分からなかった。
「驚かせてしまって申し訳ありません。私は……そうですね、この世界の守護者といった存在です」
「しゅごしゃ……?」
 慇懃に頭を下げたローブの男は、フードをすっぽりかぶって顔を隠しており、本当に男なのか……いや、それ以前に人間なのかすら判別できない。
 ローブの男が一歩を踏み出すと、多栄は言いようのない恐怖を感じて体をびくりと震わせる。そして、内股のまま慎重に後ずさりをして距離を取った。
 それを見たローブの男は、やれやれといった感じで首を振ると、
「まあ、最初は誰でもそんな感じですか……先に、私たちについて説明をしておきましょう」
 危害を加えるつもりはないと示すために、両手を挙げた。
「少し突飛な話になってしまいますが、むしろ貴女のような若者のほうが理解が早いかもしれませんね。私は随分戸惑ったような記憶がありますし」
「…………」
「守護者というのは、文字通りこの世界を守ることを目的にしています。とはいっても、基本的にこの世界に直接干渉することはありません。人間たちが愚行を重ねた結果、世界が滅びることになっても、それは世界が人間という生物を生み出してしまったことで行き着いた未来なのですから」
 「そうならないことを祈っていますがね」と付け加え、ローブの男は説明を続ける。
「守護者の敵は、主に別世界からの侵入者です。この世界の『境界』は非常に脆く、簡単に異世界からの侵入を許してしまいます。彼らの目的は世界征服から不慮の事故まで様々ですが……理の異なる別世界の生物は、いるだけで世界に悪影響を与えます。本来存在しないはずのものがそこにあるのです。世界を形成する情報に齟齬が生じるのは必然と言えるでしょう。ゆえに、守護者である我々が、望まぬ来訪者を元の世界に追い返すのです。もっとも、私は守護者の中でも融通のきく優しいお兄さんで通っているので、事情によっては例外を認めることはありますがね」
 すでに理解できないところが多々あったが、ローブの男はこれで説明は終わりだと言わんばかりに挙げていた両手を下ろした。
「それで……? 守護者さんがあたしに何の用なの……?」
 理解を放棄した多栄は、ずっと気になっていた疑問をぶつける。
 すると、フードの隙間から見えた口元が、わずかに釣り上がった。
「言ったはずですよ。貴女の力が必要だと」
 「え?」と戸惑いの声を上げる暇もなかった。
 気付けばローブの男が眼前に迫っており、その両手が多栄の首を締めあげる。
「……っ! ……っ!」
 苦しい。足が床を離れ、体が宙に浮く。骨が砕けないのが不思議なほどの握力だった。
「おめでとうございます。貴女にはこの世界を守る守護者となる素質がある。これはとても名誉なことなんですよ。光栄に思ってください」
 多栄は必死にローブの男の腕を掴むが、微動だにしない。
(このままじゃ……!)
 死んでしまう――そう思った瞬間、締められた首から不可思議な力が流れ込んでいることを感じた。まるで、ドロドロの粘液を押しこまれているような感覚に、多栄は激しい抵抗を覚える。が、体をばたつかせても状況が変わることはない。
 流れ込んだ力の塊は、徐々に体中に沁みわたっていく。自分の体が自分のものではなくなっていくような、奇妙な感覚が多栄を襲う。
(そうだ……ペンダント……!)
 多栄が命の危機に瀕しているのだ。すでに本家のセキュリティに通報が入り、護衛部隊がこちらに向かっているはず。
「……補足説明をしましょう。守護者は、元人間であることがほとんどです。もちろん私を含めてね。人間が守護者に転生した場合、人間として生きていた全ての情報は抹消されます。意味が分かりますか?」
 苦しさの嵐の中で、多栄は守護者が告げた真実の恐ろしさを知る。
「つまり、生木院多栄という人間は、最初から存在しなかったことになる。貴女を助けるために駆けつけた護衛部隊は、がらんどうの部屋を見て首をかしげながら帰ることになります。その疑問も、すぐに消えますがね」
 意識が明滅する。手足からは力が抜け、糸の切れた操り人形のようにだらりと垂れ下がった。
「守護者になって間もない頃は人間への未練も感じるでしょうが……じきに慣れますよ。私も、自分の名前を思い出せなくなって久しいですから」
 生木院多栄が、別の存在に作りかえられていく。
(助けて……)
 その最中で、多栄は助けを求める。生木院家の護衛部隊ではなく、もっと身近な人間の顔を思い浮かべる。
(あたし……誰に助けてもらいたいんだろ……)
 寂しそうに視線を逸らすクロガネの表情が頭をよぎり――
 多栄の意識は途切れた。