にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

小説もどき「レイニータクシー」後編

 私の反応を見てくすくすと笑っているのは、銀縁の眼鏡をかけた黒髪の女性だった。髪は肩のあたりで切りそろえてあり、(失礼だが)特別美人というわけではないけれど、どこか清潔な雰囲気を感じさせる人だった。着ているのは女性用のスーツで、キャリアウーマンと現すのがしっくりきそうな感じだ。
「それじゃ、とりあえず出してもらえる?」
「かしこまりました」
 女性に促され、車が走り出す。窓の外は相変わらずの雨模様で、一体どこを走っているのか見当がつかない。
「あなた、名前は?」
 車が走り出して五分ほど経ったころ。隣に座った女性が話しかけてきた。
「……浜崎です」
 不可思議な現象に巻き込まれている、という警戒心が、見知らぬ人間にフルネームを教えることをためらったが、
「できれば、下の名前も教えてもらえるとうれしいな」
「……由愛、です。浜崎由愛」
 女性の柔和な笑みを見て、結局フルネームを教えてしまった。
(何だろう。変な感じがする)
 隣に座るキャリアウーマン風の女性とは、初対面なはずなのに初めて会った気がしない。女性が漂わせる雰囲気を、どこかで感じたことがあるような……。
「奇遇ね。私もユメ、って名前なの」
「そうなんですか?」
 女性――ユメさんはうれしそうに頷いた。同じ名前の人にあったのは初めてだったので、つられて私までうれしくなってくる。
「制服姿、ってことは高校生――いや、中学生かな? いきなりこんなこと訊くのもあれだけど、ここで会ったのも何かの縁だし。ねえ、進路は決まってる?」
「はい。東京にある高校に入学するつもりです」
「わざわざ東京の学校に通うってことは、叶えたい夢でもあるのかな?」
「いえ、親からそうしろと言われたので……」
 私がそう答えると、ユメさんは懐かしいものを見るような瞳で、こちらを見つめてきた。その表情を見て、私はユメさんが泣き出してしまいそうな錯覚を覚え、ひどく不安になった。理由は分からないけど、この人には泣いてほしくないと思ったのだ。
 ユメさんは窓の外の景色に視線を移すと、落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「……ちょっと私の昔話をしてもいいかな? つまらないかもしれないけれど、最後まで聞いてもらえるとうれしいな」
「……はい。分かりました」
 タクシーが停車する様子はない。私はユメさんの話に耳を傾けることにした。
「私はね、何一つ選ばずに今まで生きてきた。私の生きる道は私が生まれる前から決まっていたし、私もその道を歩くことに不満はなかった。むしろ、進路に悩む友達たちを見ていたら、すでに進むべき道が定まっていることに感謝すら覚えたわ。将来の自分の姿がはっきりしてるって、この世の中ではすごく幸せなことだと思うの。たとえそれが他人から『つまらない人生』と批判されるようなものでもね」
 ――同じだ。
 私は心中で驚く。ユメさんの言っていることは、私の考えていることと全く同じだったからだ。
「私は今、何不自由ない生活を送れてる。『幸せ?』って訊かれたら迷わずに頷けるくらいにね。残念ながら、女の幸せってものはまだ分からないけど」
 そう言って、ユメさんは自嘲気味に笑った。
 私がフォローした方がいいのかどうか迷っているうちに、ユメさんは話を続けてしまった。
「けどね。ちょっとだけ後悔もしてるの」
「……え?」
 思わず戸惑いの声が出てしまう。
 ユメさんは今の自分の生活が幸せだと言った。なのに、後悔していることなどあるんだろうか。
「ど、どうしてですか?」
 私の問いに対し、ユメさんは真っ直ぐ私を見つめる。
 ユメさんの瞳には、うろたえる自分の姿が映っていた。
 だって、もしユメさんが言った「幸せ」を自ら否定するようなことがあれば――
 それは、私の考える「幸せ」も否定されることと同義だから。
 そんな私の考えを見透かしたように、ユメさんは優しさに満ち溢れた表情を浮かべると、口を開いた。
「私は、用意された幸せを手に入れた。けれど、中には自分だけの道を見つけて、自分だけの幸せを掴み取った人もいる。あらかじめ敷かれたレールじゃなくて……自分でレールを敷いて、その先を進んでいった人たちが、うらやましかったんだ。私」
 ふと、教室で一人黙々と作業を進める沢中の姿が頭をよぎった。
 それを振り払った私は、熱心にユメさんの話に聞き入る。
「昔は、夢を追いかけて挫折するなんて馬鹿馬鹿しい、って思ってたんだけどね。最近はちょっと考え方が変わったの。私にも、自分だけの道があったのかな、自分だけの幸せを選べたのかな、って」
 「もちろん、今の生活に不満があるわけじゃないけどね」とユメさんは付け加えた。
 ――自分だけの道。自分だけの幸せ。
 ――私にしか、選べない道。
 それは、一体どんなものなんだろう? 想像もつかない。
「……学生時代の同級生で、何をするにもでっかいことをやりたがる熱血野郎がいたの。たまたまテレビのドキュメンタリー番組で見たんだけど……そいつね、今ボランティアとして海外の貧しい国々を回ってるんだって。昔と変わらないキラキラした瞳で『ここに学校を建てたい』ってインタビューに答える姿が、悔しいくらいにカッコよく見えて。そしたら、今まで送ってきた私の人生が、ちょっとだけ色褪せて見えたんだ」
「ユメさん……」
「一度くらい、アイツみたいに輝いてみたかったな」
 ユメさんが語り終えると同時、タクシーが停車した。
 雨は降り続いている。白い靄のせいで、どこを走ってきたかも分からない。
 後部座席の扉が開いた。私が乗り込んだ扉だ。
「到着ね。降りてすぐのところに扉があるわ。そこから元の場所……学校に戻れる」
 そう言って、ユメさんは私の肩に軽く触れた。降りなさい、と言われている気がした。
 結局、この世界のことは何一つ分かっていない。
 けれど、ユメさんの正体だけは――何となく分かっていた。
 私はタクシーを降りると、安物のビニール傘を差してから、ユメさん向かって丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございました、ユメさん」
「お礼を言うのは私の方よ。話を聞いてくれてありがとね、由愛ちゃん」
 ユメさんは、最後まで笑顔だった。
 扉が閉まる。ガラス越しに、ユメさんが「バイバイ」と手を振っていた。
 タクシーが走りだす。黄色いボディが白い靄の中に消えていく。
 遠ざかるその姿に、私は感謝の言葉を向ける。

「……ありがとうございました、私」

 走り去ったタクシーの姿が完全に見えなくなるまで、私はその場で見送っていた。






 扉をくぐり抜けると、すぐ傍にある体育倉庫が見えた。どうやら無事に戻ってこれたみたいだ。
 腕時計で時間を確認してみる。私が「開かずの扉」を開けてから、5分も経っていなかった。
 やはり、夢だったのだろうか。
 例え夢だったとしても、私はあの世界のことを――ユメさんと話したことを忘れない。
 いつの間にか、雨は上がっていた。
 私はビニール傘を畳み、銀縁の眼鏡についた水滴をふき取ってから、裏門に向かって歩き始める。

 一度くらい、アイツみたいに輝いてみたかったな――

 私だけに選べる道がどんなものなのか、今の私には分からない。
 けれども、私は今、選ぶことができる。
 このまま家に帰って勉強に勤しむか、それとも――
 私はくるりと方向転換すると、自分の教室を目指して全速力で駆けだした。
 下駄箱で上履きに履き替えると、誰もいない廊下を走り抜ける。
 廊下を走るのは校則違反だったが、今は守る気になれなかった。
 勢いよく扉を開くと、そこには未だに一人で作業を続ける男子生徒の姿があった。
「あれ? どうした委員長。忘れ物か?」
「……違うわよ。放課後の用事が無くなったから、手伝おうと思って戻ってきたの」
 本当は用事など元々無かったが、内緒にしておこう。
「マジか!? すっげえ助かるぜ!」
 「まさに救世主!」とはやし立ててくる沢中に対し、
「言っておくけど、私が手伝ったところでスケジュールが厳しいのは変わりないんだからね! 変な所にこだわりすぎるようなら、力づくでもやめさせるわよ!」
 ビシッと指を突き付けて釘をさす。私にしては珍しく、声を荒げてしまった。
「大丈夫さ!」
 私の大声に怯むことなく、沢中は両手を腰に当て、自信満々に宣言してみせた。

「――俺たちなら、きっとできる!!」