にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

小説もどき「レイニータクシー」中編

 教室の扉を開けると、残っているのは沢中一人だけだった。
「おう! 委員長。ステージの使用スケジュールはどうなってる?」
 私が入ってきたことに気付いた沢中は、額の汗をぬぐいながら笑顔で問いかけてくる。その右手にはノコギリが握られており、板を切り分けていたようだ。
 周りに散らばっているパーツを見るに、どうやらジュリエットの部屋のセットを作っているようだが……ジュリエットの部屋は昨日の時点で「完成した」との報告を受けていた。
「特に問題はないわ。このスケジュールなら、当日は余裕を持って準備できるはず……それよりも、何やってるの? ジュリエットの部屋は昨日完成したはずでしょ。どうせやるなら、まだ組み上がっていないセットを――」
「いや、俺の中ではまだ未完成なんだよ。最高の演劇、ってのは演技だけじゃなくてセットもこだわって、観客を目で楽しませねえとな。そのためには、このセットじゃ不十分だ」
 何言っちゃってるんだこの男は。
 そんなところにこだわっていたら、間に合うものも間に合わなくなる。ただでさえ時間がないというのに。
「……あのね、沢中君」
 作業に戻ろうとする沢中に、私は苛立ちながらも、感情的になりすぎないように声を出す。
「時間が足りないってことは最初に言ったよね。君には順調に作業が進んでいるように見えるのかもしれないけど、今の段階でも当日までに間に合うかどうかギリギリなくらいなの。みんなだって、受験に向けて忙しい時間を割いて準備してくれてるんだよ。君一人のこだわりのせいで、これ以上作業を遅らせるわけにはいかないわ」
 演劇をやると決まった日の夜、私は自分なりに文化祭までのスケジュールを立ててみた。みんなの負担になりすぎず、かつ手抜き過ぎずに舞台を仕上げるにはどうすればいいかを。
 計画を立てるのは好きだし、慣れている。スケジュールはすぐに組み上がった。
 あとは、敷いたレールからはみ出さないように、準備を進めればいいだけ。
 私はクラス委員長として指示を出し、みんなもそれに従ってくれた。
「心配しなくても平気だぜ、委員長。必ず間に合わせてみせるからさ!」
 ――沢中以外は。
 いつだってそうだ。
 こいつは、敷かれたレールの上を歩くことを嫌い、すぐに枠外に飛び出していく。
「間に合わせるって……残ってるの沢中君一人だけじゃない。一人で出来ることなんて、たかが知れてるわ」
「俺が三人分……いや、十人分くらい働きゃ問題ないだろ? 俺は塾行ってないし、部活も引退しちまったから時間有り余ってるんだよ。何なら泊まり込みで作業しても構わないし」
「……学校への宿泊は校則で禁止されてるわ」
「あれ? そうだっけか? でもバレなきゃ平気だろ」
 そう言っていたずらっぽい笑みを浮かべた沢中は、ノコギリでの作業に戻る。
 ギコギコギコと木の板が切断されていく音が、静かな教室に響き渡る。
「……どうして」
 何故、ここまでがんばるのだろうか。
 高い壁への挑戦。素晴らしいことだとは思うが、すぐ傍に確実に通り抜けられる道があるのなら、そっちを通ればいいんじゃないかと思う。
 この文化祭のことだってそうだ。
 妥協すれば、一人でがんばらずに済むのに。
 いつもだったら「アホらしい」と呆れて終わりなのに、何故だか今日は無性にイライラした。もちろん、沢中の態度にだ。

「――無理よ。沢中君の言う『最高の舞台』なんて、できるはずない」

 精神論だけじゃ、絶対に越えられない壁がある。
 私は、幼いころからそう教え込まれてきたし、実際に夢に破れて挫折した人間を何人も見てきた。まだ十五年しか生きていないのに、だ。
「あ? 何か言ったか?」
 作業の手を止めた沢中が問いかけてくるが、
「……何でもない。それじゃ、私も帰るわ」
 返事を待たずに、私は教室を後にした。






 私は、中学卒業と同時に東京へと引っ越し、とある有名大学の付属高校に通うことになっている。前々から親に言われていたことだし、特に疑問に思うこともなくその進路を選択した。幸い、成績はそこそこ……自画自賛はあまり好きではないので言いたくはないが、テストで学年トップを取れるくらいの学力はあるので、受験に向けての不安要素もない。
 高校卒業後はそのまま付属の大学に進学し、親が社長を務めている会社に就職か、または公務員になって、そのまま安定した暮らしを送っていくのだろう。結婚は……とりあえず現時点では考えていない。
 「そんな平凡な人生なんてつまらない」という人はいるだろう。
 けれど、敷かれたレールがあるなら、そこを歩くのが一番賢いやり方だと思うのだ。
 もちろんこれは私の個人的な考えだし、それを押し付ける気はさらさらない。
 そのはずなのに。
(どうして、あんなこと言っちゃったんだろ……)
 「絶対に無理」と捨て台詞を残してしまったことを、私は後悔していた。
 夢を追いかけるのは個人の自由だ。それを無謀だと思っても、決して表には出さない。私はそうやって生きてきたはずなのに。
 沢中のことだって、いつもみたいに「これだけ言っても聞かないなら知らない」と突き放して終わりにすればよかったのに。
 なんで、今日はこんなにイライラするのだろう。沢中のことが気になるのだろう。
 しとしとと降り続く雨が、憂鬱な気分をさらに加速させた。
 安物のビニール傘を差した私は、正門を通って帰ろうとする。
 ところが、正門のところに体操着姿の人だかりができており、何やら怒号らしきものが聞こえてくる。人だかりの顔ぶれを遠目で眺めてみると、男子バレー部であることが分かった。部長――つまり沢中の後継者――が、部員たちに向かって説教をしているところのようだ。部長の説教を、元気のいい返事を上げながら熱心に聞いている部員達。完全に自分たちの世界に入り込んでしまっている。
(今は部活停止期間中のはずなんだけどなぁ……)
 こんな時まで練習とは気合入ってるなぁ、と感心半分呆れ半分の微妙な視線を送る。
 ……何となく、正門は通り辛い雰囲気。
 かといって男子バレー部の説教タイムが終わるまで待つのも嫌だし……。
(しょうがない。裏門から帰ろう)
 特に校則違反というわけではないのだが、裏門を使うのは何となく気が引ける。
 それでも早く帰りたかった私は、裏門を目指してそそくさと歩き始めた。
 その途中。
 体育倉庫の隣に、「開かずの扉」はあった。
 私は、自然とその前で足を止めていた。
 なぜなら、南京錠で施錠されており、錆び付いていて開かないはずの扉が――ほんの少し開いていたからだ。
 隙間から見えるのは真っ黒な暗闇だけで、中の様子がどうなっているかは分からない。
 脳裏に、下級生たちの会話が蘇った。
 「開かずの扉」を開けた人は、中に棲みついた幽霊に喰われちゃって二度と戻って来れないって噂だよ――
 馬鹿馬鹿しい。幽霊なんて非現実的なもの、居るはずがない。
(……確かめてみようかな)
 普段の私なら気にせず下校するか、扉の施錠が外れていることを先生に報告したのだろう。
 だけど、この日の私は……沢中のせいで苛立っていたおかげで、どこかおかしかった。
 私は「開かずの扉」のドアノブに手をかけると、そのまま勢いよく扉を開いた――
「……え?」
 最初に認識したのは、雨音だった。
 絶え間なく地面を打つ、雨粒の音。
 何故か、扉を抜けた先でも雨が降っていた。
 私は「開かずの扉」を開けて、物置として使われているはずのプレハブの中に足を踏み入れたはずなのに。
 私の目の前に映る景色は、どう見てもプレハブの中ではない。
 扉をくぐったせいで知らない場所に瞬間移動してしまったような、そんな景色だった。
 いつの間にか、入ってきた扉は固く閉ざされている。焦りはしたが、それほど驚きはしなかった。何となくだが、扉は再び開かなくなるような気がしていたのだ。
 周囲を見回してみるが、白い靄のようなものがかかっていてはっきりとした景色は見えない。ただ、家らしき建物が並んでいるのがぼんやりと見える。
 ……どこかの街中、ということだろうか。
 一気に非現実的な世界に放り込まれたというのに、不思議と恐怖は感じなかった。もしかしたら、錯乱しないようどこかで「これは夢だ」と思いこもうとしていたのかもしれない。
 もう一度、目を凝らしながら周囲の様子を見回していると、少し離れているところに停車しているタクシーを見つけた。
 白い靄がかかった世界で、黄色のボディーカラーは私の視界に力強く映った。
 私は、そのタクシーに吸い寄せられるように歩きだす。
 入ってきた扉が簡単には開かない以上、どこか別の出口を探すか扉を開ける方法を探さなくてはならない。とにかく、タクシーの運転手から色々訊き出さないと。
 タクシーのすぐ傍までやってくる。すると、乗車を促すように後部座席の扉が開いた。
 外見は普通のタクシーだけれど……このまま乗り込んだら、中に化け物が乗っていて為す術なく喰われてしまいました、なんてオチが待っていそうな気がする。
(……いや。化け物なんているはずない! これはどう見ても普通のタクシー。もしかしたら、出口まで案内してくれるかもしれない)
 そう自分に言い聞かせてから、ビニール傘を畳むと、意を決して乗り込んだ。
 私が新車特有の匂いがするシートに腰を落とした直後、バタンと音を立てて扉が閉まる。
 私はすぐさま運転席に視線を移す。後部座席から見るその背中は、真新しい制服に身を包んだ男性のそれだ。バックミラー越しに見えた顔は、優しそうなおじさんだった。
 それを確認して、ホッと胸をなで下ろした時だった。
「……そんなに警戒しなくて大丈夫よ。危険なことなんて何もないから」
「ひゃう!」
 突然隣から聞こえた女性の声に、驚いた私はびくぅっ! と体を震わせてしまう。まさか、先客がいたとは思わなかった。