にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

井の中の腐り姫【後編】 ※微グロ注意かも

 わたしの運動能力は、普通の人間とほぼ変わらない。
 でも、ドイドの運動神経はそれ以下だったようで、すぐにひいひいと息を切らし始めた。
 加えて、「井戸」の中は暗い。わたしは「井戸」での暮らしに慣れているから、軽々と障害物を避けられるけど、ドイドはそうはいかない。三歩歩くたびに何かにつまづき、ガラガラと派手な音を立てながら転んでいた。
「ぜぇー、ぜぇー、待つのですヨ……君は貴重なサンプル……ワタシの手で、じっくり研究しないといけないのですヨ……」
 それでも、ドイドはわたしを追いかけることをやめなかった。
 わたしは、最初こそ身の危険を感じていたものの、いつしかドイドとの追いかけっこが楽しくなっていた。ドイドが転んだらわざと立ち止まって、からかうように様子を窺う。瓦礫の山の陰に隠れて、見つからないように息をひそめてみる。
 楽しかった。
 だって、ずっと一人ぼっちだったから。
 暗い井戸の底で、天井を見上げることしかできなかったから。
「フゥ、フゥ、フゥ……非常に腹が立ちますヨ」
 とうとう膝を付いたドイドは、わたしの顔を見上げながら言った。

「随分楽しそうに笑っていますネ」

 気付かなかった。
 わたし、今笑ってるんだ。
 わたし――笑えたんだ。









 いつの間にか寝てしまっていた。はしゃぎまわったせいで、疲れていたのかもしれない。いつもなら、一晩寝なくても全然眠くならないのに。
 体を起こす。どこから持ってきたのか、足の折れたベッドに寝かされていた。ご丁寧に毛布までかけてある。毛布は真新しいから、きっとドイドの持ち物だろう。
 わたしから少し離れた場所に、ドイドの背中が見えた。スチール製の机と椅子を見つけてきたようで、何かの作業に没頭している。
 わたしはベッドから降りると、静かな足取りでドイドに近づいてみる。
「ああ、起きたのですかネ」
 すると、ドイドがわたしに気付いたようで、くるりと椅子を回転させてこちらに振り向く。
「昨日はお楽しみでしたネ。君が眠った後、思う存分調べさせてもらいましたヨ。君の体をネ」
 違和感があった。
 ドイドの姿は、昨日と変わらないように見える。ガスマスクに黒いスーツ。そして、両手にはめたゴム手袋――
 手袋は、片方しかなかった。
 スーツも、肘から先がぺしゃんこになってしまっている。中身が入っていないからだ。

 ドイドの左腕がなかった。

 代わりに、机の上に三十センチほどの腐った肉塊が置かれている。たぶん、ドイドの左腕だったものだ。
「知的欲求を満たすためなら、腕の一本くらい安いものですヨ。おかげでいいデータが取れました」
 わたしがどんな表情をしていたのかは分からない。けど、わたしの顔を見たドイドは、優しい声色で言った。
 そして、残った右手をわたしの目の前に差し出す。
 手のひらには、小さなカプセルが置かれていた。
「君が保有しているウイルスの活動を一時的に抑える薬ですヨ。飲んでみてください」
 もしかして、ドイドはこれを作るために、自らの左腕を犠牲にしたのだろうか?
 わたしが躊躇していると「早くしてくださいヨ」と強い口調で急かされてしまい、仕方なくカプセルを受け取り、そのまま飲みこむ。
 ……体に変わった様子はない。
 ドイドは右手のゴム手袋を口を使って器用に脱ぎ捨て、
「即効性はあるはずです。大丈夫ですヨ」

 わたしの手を握った。

 生き物を腐らせてしまう生物兵器である、わたしの手を。
 わたしはドイドが腐っていくのを直視できず、怖くて目をつぶった。
 でも。
「何してるんですか? 早く行きますヨ」
 握った手のひらから伝わってくる温もりは、いつまで経っても消えなかった。
 あったかかった。

 これが、人の温もりなんだ。

「これからここを脱出して、ワタシの研究所に向かいますヨ。君のウイルスを利用して、壁を腐食させる爆弾を作りました。外の警備は――まあ何とかなるでしょう。ワタシの知的好奇心を満たすために、何とかしないといけないのですヨ」
 ドイドは、わたしの手を引いて歩き始める。
 「井戸」を出る。そんなこと考えもしなかった。
 わたしなんかが外に出ていいんだろうか? 争いが起きないんだろうか?
 そんなわたしの考えなどお構いなしに、ドイドはどんどんと歩を進める。
「大丈夫」
 わたしが不安そうにしているのに気付いたのか、ドイドはガスマスクを外してから、わたしの顔を見て、言った。

「外の世界は、きっと楽しいですヨ」