にわかオタクの雑記帳

にわかオタクがそのときハマっていることを書き殴るブログです 主にアニメ・ゲーム中心

井の中の腐り姫【前編】 ※微グロ注意かも

 戦争が終わった。
 長らく続いていた二つの大国による戦争。最早戦いの意味を忘れてしまうほど長く続いていた戦争は、その虚しさにようやく気付いた双方の王が、歩み寄ったことで幕を引いた。
 そして、無益な争いが起こらないよう、国境にあるものが作られた。

 「井戸」。

 天高くそびえたつ塔のような建造物は、上空から見るとまるで井戸のように見えることから、この名がついた。
 「井戸」と呼ばれるそこには、戦争の道具として使われた様々なものが捨てられた。
 銃や爆弾などの「人を殺すための道具」はもちろん、争いの種となる金銀財宝なども投棄された。
 井戸に捨てたものは、絶対に取りに戻ってはならない。
 過去の悲劇を繰り返さないために――







 わたしは、今日も「井戸」の底から空を見上げる。
 一日に一回、決まった時間になると「井戸」の上蓋――天井が取り外され、争いを引き起こすと判断されたものが投棄される。
 戦争が終わった直後は山のように捨てるものがあったらしいが、今となっては小さな拳銃や刃物が捨てられるくらいだ。今日も、キラキラと光る指輪がひとつ落ちてきただけだった。きっと、この指輪を巡って争いが起こったんだろう。
 丸く切り取られた空は、澄み切った青だった。
 天井が閉じられ、「井戸」の中は暗闇に包まれる。壁の隙間からわずかに差し込む陽の光が、わたしの姿を照らし出す。
 真っ白な髪。やせ細った身体。ボロボロのワンピース。
 いつもなら自分の姿など気にならないのに、何故だか今日はひどく惨めに思えた。
 わたしはさっき落ちてきた指輪を拾おうと、その場にしゃがみこむ。
 わずかな明かりを頼りに、手探りで探していたときだった。

 ざりっ、と。

 物音が聞こえた。
 最初は、どこかで物が落ちた音だろうと思っていた。しかし、物音は一定のリズムで鳴り続け、どんどんこちらに近づいてくる。
 足音だ。わたしは確信した。
 でも、そんなことはありえない。ここは「井戸」。争いを起こす様々な物が捨てられる場所。

 こんなところに、人間がいるはずがない。

 すぐ近くで足音が鳴る。わたしは慌てて立ち上がると、物陰に隠れて様子を窺うために走り出そうとした。
「――おや。こんなところでワタシ以外の人間に会えるとは。これは予想外ですヨ」
 が、その前に足音の主に見つかってしまった。
 わたしは怖くなって逃げ出そうとしたが、何かにつまづいて転んでしまう。べしゃっ! と派手な音を立てて顔面を強打してしまった。幸い血は出ていないようだが、すごく痛い。
「ヤれヤれ。これだから大きい生物は駄目ですネ。ミジンコだったら転ばずに済みましたヨ」
 足音の主は、無様に転んだわたしを見下ろし、妙な難癖をつけてくる。
 わたしは少しムッとしながら体を起こし、バカにしてきた声の主に視線を向ける。その人は、ちょうど陽の光が当たる場所に立っていた。変な仮面(あとで分かったけど、ガスマスクというらしい)をつけて、黒いスーツを着て、ゴム手袋をはめて、大きなリュックサックを背負っている。マスクのせいで声がこもってよく分からないが、体格的にたぶん男性だろう。
 わたしはその人の格好が理解できず、ポカンと口を開けたまま固まってしまった。
「む。さては偉大なるマッドサイエンティスト、ドイド様が考えた正装を馬鹿にしていますネ。実に心外です。これにはちゃんと意味があって――」
 ドイドと名乗った人間が、声高に説明を始めたときだった。
 ガシャン! とガラスの割れる音が響き、わたしとドイドのあいだに黒い影が飛び込んでくる。
「……っ!?」
「ヌおっ!」
 ドイドは影の出現に驚き、尻もちをついている。
「グルルルル……!」
 唸り声をあげる黒い影の正体は、合成獣(キメラ)と呼ばれる生物だった。ベースは犬のようだが、尻尾は蛇のようにうねっており、前足はイノシシのそれに酷似していた。戦争に使われた生物兵器の一種だ。
 気が立っている様子の合成獣は、わたしを獲物と定めると、瞬時に飛びかかってくる。
 避ける暇すらない。鋭く尖った牙が、わたしの右腕に食い込む――
 瞬間。
 合成獣の牙がグチャリと溶け、地面に落ちる。
 噛みついた合成獣は、何が起こったのか全く分からなかっただろう。でもわたしには分かった。
 わたしの体に触れた牙が、一瞬で腐ったのだ。
 腐敗は牙だけにとどまらず、合成獣の体を恐るべき速度で蝕み、あっという間にドロドロの肉塊へと変えてしまった。
「君は……」
 その光景を目にしたドイドが、ゆっくりと立ちあがりながら告げる。

「君は、人間ではないようですネ」

 「井戸」の中に人間はいない。
 わたしは、出来そこないの生物兵器だった。









 わたしが作られたのは、戦争が終わる直前だった。
 周囲にいる生物を腐らせるウイルスをまき散らす、凶悪な生物兵器。姿形を人間に似せたのは、敵国に正体を悟られないためだ。
 長きにわたる戦争を終わらせるための切り札――
 に、なるはずだった。
 出来上がった「わたし」は触れた生物を瞬時に腐らせることには成功したが、それ以外の能力は並の人間以下だった。棍棒で殴られれば倒れるし、銃で撃たれれば死ぬし、爆弾に当たれば木端微塵だ。わたしを作った研究者たちはそれが気に食わなかったらしく、生物兵器としてさらなる改良を加えようとしていた。
 その前に、戦争は終わった。
 危険な生物兵器であるわたしは、真っ先に「井戸」へと投棄された。幸い空気だけあれば活動できるように改良されていたので、生活には困らなかった。
 でも、わたしは一人ぼっちだった。
 「井戸」に捨てられるのは「争いを生む物」だけ。その中に人間は含まれていない。
「フム。フムフムフム! これは実に興味深いですネ。まさかこんなところでワタシの知らないウイルスと出会えるとは! 世界は広い――いや、この場合は狭いと言うべきですか! 微生物以外に興味のないワタシですが、これは気になりますネ」
 にも関わらず、ドイドはそこにいた。
 身なりこそ奇妙だが、彼は正真正銘の人間のようだ。わたしを作った科学者たちの話では、人間の形をした生物兵器はわたしの他にも存在するけど、彼らは決して言葉を話すことはしないらしい(その理由は教えてくれなかった)。
 ドイドは興奮した様子で合成獣の成れの果てを調べている。背負っていたリュックサックを降ろし、中から何かを取り出している。
「うヌヌ……急に拉致されたものだから、ロクな研究道具を持ちだせなかったですヨ。王国騎士団のやつめ、どうしてワタシのウイルスに対する愛情を理解できないのか……ワタシを危険人物だと判断した挙句、『井戸』に放り込むなんて。こんな屈辱を受けたのは初めてですヨ」
 ブツブツと独り言を喋りながら、ドイドはピンセットで腐った肉塊をつまみあげると、ルーペでじっと覗きこむ。
「……これでは駄目ですネ。ウイルスが完全に活動を停止してしまっています。感染した生物を完全に腐敗させると同時に、自らも活動を終えるウイルス。こんな子見たことないですヨ」
 合成獣の死体に興味を失くしたドイドは、手にしていたルーペで今度はわたしを覗きこんでくる。急に注目されたわたしは、驚いて後ずさりしてしまった。というか、あのマスク越しでちゃんと見えてるんだろうか。
 ドイドはルーペの縁に付いたボタンをカチカチと何回か押していたが、やがて大きなため息を吐いてうなだれた。
「こんなものじゃさっぱり分からないですヨ。研究所にあるドイド様特製ウイルスチェッカーなら、どんなウイルスを保持しているかが一発で分かるのに。ああ、今すぐ研究所に戻りたいですヨ!」
 頭を抱え、悶絶するドイド。
 彼の言葉から読みとった限りでは、どうやらドイドはウイルスを研究していた科学者で、その研究が「争いを生む」と判断され、「井戸」に捨てられたようだ。外の世界がどうなっているかなんてわたしに知る術はないけど、少なくとも今まで人間が捨てられたことなんてなかった。ドイドは、一体どんな研究をしていたのだろう?
「この合成獣が腐ったのは、君の仕業と判断してよろしいのですかネ?」
 そのドイドから、わたしに向かって問いが来る。
 わたしはおっかなびっくりながらも、こくりと頷いた。
「では――」
 ドイドは手に持っていたルーペとピンセットを投げ捨てると、その場で屈伸運動を始める。
 何だろう? とわたしが首をかしげると、
「君を、隅々まで調べさせてもらいますヨ」
 そう告げた後、ドイドは両手を挙げて「キエー!」と叫びながらわたしに迫ってきた。
「――――!」
 身の危険を感じたわたしは、すぐさま逃げ出す。今度はつまづかなかった。
 追ってくるドイドは、まるで……そう、変質者のようだった。